1974~75年の連続企業爆破事件の一つに関与したとして指名手配された過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、警視庁公安部の任意聴取に対し、「後悔している」と話していたことが30日、捜査関係者への取材で分かった。男は29日に入院先の病院で死亡し、公安部が身元の特定を急いでいる。
捜査関係者によると、男は入院先の病院で、聴取に対し、「事件について後悔している」という趣旨の話をした。「一人で逃亡していた」とも明かしたという。
公安部は桐島容疑者の複数の親族から試料の提供を受け、身元特定に向けたDNA型鑑定を続けている。男の供述内容も裏付けるなどし、本人と確認されれば容疑者死亡のまま、書類送検する方針。半世紀近くに及ぶ逃亡生活の実態や支援者の有無についても調べる。
男は「内田洋」の名前で、神奈川県藤沢市の工務店に約40年間住み込みで勤務していた。
今月、末期の胃がんで同県鎌倉市の病院に入院した。約2週間後の25日、「最期は本名で迎えたい」と言って桐島聡と名乗ったため公安部が事情聴取。重篤な状態が続き、29日に死亡した。
桐島容疑者は75年4月の東京・銀座の韓国産業経済研究所の爆破事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている。