母はギターを持ってやって来た。
昨年始めたギターに母はのめり込んでいる。高校時代、僕が勉強を一切せずにギターばかり触っていた時には、ギターごと恨むような勢いで怒っていたが、今はひょっとすると僕よりも練習に注ぐ時間は長い。
1月に厚真町で開かれる小さなイベントの一つに、ギターを持ちよって楽しもうというものがあり、何かの折にその話を母にした。「来てみる?」とは言ってみたが、本当にギターを持ってやって来るとは思わなかった。特段旅行好きでもアウトドア派でもない人間が、こうしてはるばる埼玉県から北海道に来た僕の驚きはなかなか人に伝わらない。
イベント当日、「母です」というシンプルな自己紹介をした後、町の方々とギター愛を語る母の横で、「ギターで怒られていた高校時代を振り返り、今は複雑な心境です」と息子は半分冗談の自己紹介をする。この日のためにたくさん練習してきたのだろう、披露した「スカボロー・フェア」は多少の緊張感こそあったものの一度も止まることなく、すてきな演奏だった。宿に戻るタクシーで母は、背負っていたギターを見た運転手から「シンガー・ソングライターの方ですか?」と聞かれたことを、なぜかうれしそうに語った。
空港で見送った母の背中にはとうとう最後まで現実感がなかったが、これが夢でもどの道良い時間だと言える。
今度は父が来たいと言っているらしい。父は何を持ってくるだろう。
(厚真町地域おこし協力隊)