防災のカタチ

  • 土曜の窓, 特集
  • 2024年1月20日
防災のカタチ

 2024年の新春の集いは、賀詞交歓の場から一転、黙とうと献杯の場へと切り替わってしまった。父方の祖母の家は能登半島の羽咋から角田(今の空知管内栗山町)に入った石川県の出身。一方、母方の祖父は福井県の大野から三石(今の新ひだか町)に入植した。北海道はいわば「越」の国の人たちが最初に切り開いたフロンティア。元日に「越」全域を襲った巨大地震は、多くの道産子にとって、決して他人事ではなかったはずだ。

 わが国の作戦能力って、この程度なの?と、ついぼやきたくもなる状況だが、今の自公政権を支えているのも私たち、単純な政権批判は天唾だろう。ただ、東日本大震災から13年もたつというのに、この国の「防災のカタチ」はちっとも変わっちゃいない。その異様さに、改めて気付かされる出来事だった。

 災害は必ず起こる。だから「速やかに逃げる」が防災の鉄則だ。しかし、わが国ではなぜか被災者を被災地から退避させようとしない。自治体が被災エリア内に避難所なる『箱』を指定し、そこに住民を集めては集団行動を求める。大方は満足な装備もなく安全もプライバシーも担保されない学校の体育館などだ。避難所はたちまちのうちに不衛生な難民キャンプと化し、被災者のメンタルと体力をむしばみながら、ひいては災害関連死を招いたりもする。

 どうあるべきなのか? 被災した土地からいったんひとが消えてしまえば、”被災者”は存在しようがない。事態が落ち着きを取り戻すまでの1、2カ月間、被災したひとたちを家族単位で当該エリアから速やかに脱出させ、全国好きなところに無償で退避できる仕組みにする。

 ホテルや旅館などの宿泊費、鉄道、航空、タクシーなどの交通費を全額、政府や自治体の責任で負担する。要するに困ったときはお互いさま。被災したひとたちを社会全体でいったん吸収するという発想に立てばいい。復旧に向けた初動がスムーズになるだけでなく、避難所に入るために家族同然の愛犬を置き去りにしたり、子供たちが避難所で学習の機会を奪われ続けるといった悲劇も避けられる。

 巨大地震の際に最も必要なのは、津波の到来を視認できる沿岸部のライブ映像であることを私たちは東日本大震災から学んだ。しかし能登半島地震では、翌日になるまで沿岸部を捉えた映像がメディアに流れることはなかった。

 新しい防災のカタチを目指し、地震発生時にエンジンドローンが6時間ノンストップで飛び続け、最寄りのスマートフォンに海岸の映像をライブ配信する「ザ・ガーディアン」の開発に取り組んで来た。この4月、福島県浪江町にいよいよ実戦配備の予定だが、能登には間に合わなかった。じくじたる思いである。

 (會澤高圧コンクリート社長)

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