昭和30年代、電気洗濯機の普及と時を同じくして、手回し洗濯器「カモメホーム洗濯器」が群馬県の林製作所から発売された。
使用方法は、球体の洗濯槽部分に衣類を詰め(1回の洗濯でシャツ2枚程度)、洗剤と熱湯を注ぎ入れる。ふたを閉めて洗濯槽内部を密閉し、ハンドルを約20秒回転させると、内部に残った空気の気圧が高まって、圧力で衣類の汚れを落とす。すすぎはお湯を入れ替えて回転させた。洗濯後にふたを開けると、ポンと音がするので「ポン洗濯機」や、当時流行していたソ連の人工衛星「スプートニク1号」に似ていたので「スプートニク型」と呼ばれた。定価は4300円と、先行して販売されていた電気洗濯機(2~3万円)よりもかなり安く、少ない水量と洗剤で洗濯ができる「エコな洗濯機」であった。
総生産台数は30万台に上り、そのうちの7~8万台はアメリカ、イギリス、ドイツなどに輸出され、海外特許も取得したヒット商品だったが、電化製品ブームに押されて1963(昭和38)年に生産を中止した。
この洗濯器が誕生したきっかけは、発明者である高月照雄の妻が、病気になりながら切り盛りしていた食堂で「こんな風に洗濯ができれば幸せだよね」と製麺機を見てつぶやいたからだといわれている。
道具は、人々の生活を便利で豊かにするための知恵や技術の結晶である。展示会を通して、それぞれの道具に込められた先人たちの創意工夫の歴史を感じてほしい。
(苫小牧市美術博物館学芸員 佐藤麻莉)