石川県各地を中心に大きな被害が出た能登半島地震では、環境の変化に敏感な知的障害者も行き場を一時失った。福祉施設に大勢の被災者が身を寄せたことで通えなくなったり、慣れない避難先で子どもの行動を叱責されたりした親もいた。避難の長期化が避けられない中、「私たちをバラバラにしないで、みんなで一緒に生活できるようにしてほしい」との声が上がる。
輪島市の障害者福祉施設「一互一笑(いちごいちえ)」には軽度から重度の障害者約60人が通っており、施設で障害事業部長を務める藤沢美春さん(55)の娘(28)もその1人だ。通所者が配膳するカフェも地元の住民に親しまれてきた。
地震発生後は、自宅を失うなどした被災者を多い時で約40人受け入れた。しかし、普段見慣れない住民が多数押し寄せたことで、ほとんどの通所者は居場所を失った。重度の自閉症を持つ藤沢さんの娘も、見知らぬ人と不規則な生活を送ることができず、被害を免れた自宅での避難生活を余儀なくされた。叫び声を上げ、自傷行為も見られたという。
他にも、避難所となった保育施設に親と一緒に一時身を寄せたが、落ち着きなく周囲の物を触るなどして職員に厳しく叱られた通所者もいた。藤沢さんは「保護者も『あなたの教育が悪い』と言われ、一互一笑に泣いて帰ってきた」と明かす。
市内のほぼ全域で断水が続く中、藤沢さんは「輪島には住めない」と話し、市外の親族を頼るつもりだという。
14日には、まず通所者15人とその家族17人らが羽咋市内の一時避難先に向かった。支援者も泊まり込み、交代で見守っている。
藤沢さんは「一時避難所にはみんな一緒に入れたが、2次避難も一緒にできるとは限らない」と不安を吐露。「孤立集落の人々が地震後の混乱の中でも平静でいられたのは、見知った地域の人がいたからというのもあったのではないか。障害者も同じ。見慣れた人たちとそろって2次避難できるとありがたい」と話した。