昭和59(1984)年のこの年、紙パ業界など本州大手企業の一部に好景気ムードが見られた。苫小牧でも、いすゞ自動車北海道工場の開所や王子製紙の大型設備投資などがあり、福祉施設の建設も少なくはなかった。しかし、地域全体としては一向に好況に転じないのである。いや、むしろ地場事業所、商店の倒産は前年よりもひどく、「倒産台風が吹き荒れた」とさえ表現された。一体、どのような構造なのか。人々が首を傾げる中、潜んでいた千歳川放水路計画という大問題が浮上し、行政と市民は地場農漁業や自然環境の保護という問題を突き付けられた。市民を笑顔にしたものといえば、「ふるさと農園」の開設や「産業観光ツアー」など、知恵を絞り、汗を流した事業だった。
■大規模設備投資と地元企業の倒産
この年の設備投資を羅列してみよう。まず、いすゞ自動車北海道の開所(5月)、王子製紙苫小牧工場のクラフトパルプ転換に伴う設備建設起工(12月)があり、共に200億円を超える大型設備投資であった。これと前後して三協精機製作所苫小牧工場の開所、苫東国家石油備蓄基地の第1期工事竣工(しゅんこう)、出光興産北海道製油所の灯軽油製造装置建設、日軽苫小牧の磁気ディスク加工工程設備建設、清水鋼鉄苫小牧製鋼所の圧延設備新設など数十億円規模の設備投資が相次いだのだった。他から見れば、うらやましいほどの勢いだ。前年誕生した板谷市政は10月、苫小牧市企業立地振興条例(企業誘致条例)を施行し、本州企業の誘致に、さらに力を注いだ。
ところがどうであろう。一方では地元の企業が、ばたばたと倒れていくのだ。前年、苫小牧圏域では137件と過去最多の企業倒産を記録していたが、11月ですでにそれを上回った。倒れたのは、地元の老舗や「優良」と見られていた企業だった。自民党支部長、副支部長の経営する会社がそろって倒産。市議が経営する地元中堅の建設会社も倒産。要因は採算割れの出血工事、焦げ付き債権、借入金の増大…。他に、市民に親しまれていた菓子製造所が惜しまれて工場を畳み、老舗寿司店も店を閉じた。倒産に伴い、経営者の自殺という痛ましい出来事もあった。
本州大手、誘致企業の活況と地場中小企業の苦悩の同時進行。そのことから私たちは何を学ぶべきなのか。
■千歳川放水路計画の浮上
この年6月、昭和57年以来水面下にあった千歳川放水路計画の概要が公表された。千歳川から太平洋へ幅300~450メートルの水路を掘り、洪水時に千歳川水系の水を太平洋に流す。これによって千歳、恵庭、江別の農業地帯など昭和56年の大洪水で被災した約600平方キロの低地帯を、150年に1度の大洪水からも救えるようにする。半面、苫小牧、千歳、早来の農業・酪農地帯や野鳥の聖域・ウトナイ湖とその生命線である美々川流域に多大な悪影響を及ぼすと考えられた。工事自体、完成、効果発揮までに30年以上、千数百億円の工費がかかるといわれる長大な計画であった。
苫小牧民報などの報道の後を追いかけて7月には稲村佐近四郎北海道開発庁長官が記者会見し「今年中にルートを決定する」と述べた。8月には苫小牧、千歳、早来、長沼の2市2町に計画概要を公式に説明するなど、計画を巡る動きは急速に展開した。
受益地区での計画促進運動が強まる一方、自然保護団体、早来や苫小牧、千歳のルート関係地区での説明会が連続的に開かれ、いち早く自然保護団体が「反対」の声を上げたのに続き、11、12月には農、漁民団体が「反対」を表明。しかし、12月20日、道開発庁は実施ルートを発表し、「暴挙」と非難を浴びた。
経済的起爆剤の欲しい苫小牧市は公式説明前から市長が計画に賛意を示したものの、農、漁業者から反対の声が高まるとルート発表前日になって「ルート決定の前に環境アセスを」との要請をし、態度を180度転換して不安定な姿勢を見せつけた。以降、十数年にわたってこの計画の賛否で地域は揺れ続けることになる。
■人気のふるさと農園
暗く息苦しい世相の中で、市民を笑顔にした取り組みがあった。一つは「ふるさと農園」の開設だ。工業都市としての開発が進む中で、人々は自然や土から離れていった。アパート暮らしも多い。そういう人たちに土と触れ合い、直接生産する喜びを知ってもらおうと始めた。郊外に民間の畑を借り、60平方メートル(約18・2坪)ずつに区分けして希望者に貸し出す。農地法などのハードルがあり、準備に4年もかかったが、市農協と市を中心に運営委員会ができてからは順調に準備が進んだ。
市民の関心は予想以上に高く100区画の貸し出し予定に260区画分の応募があり、急きょ40区画を増設したが、最終的には2・2倍の高い競争率となった。抽選では、子ども会や老人がいる家族を優先させた。子どもたちの健やかな成長やお年寄りの生きがい対策を盛り込んだのだった。
もう一つは「地元産業の活用や地域社会と企業との相互理解にもつながれば」と市や観光協会が企画した「産業観光ツアー」。王子製紙やいすゞ自動車、苫小牧港東港など苫小牧市内の主要産業、施設を見学した。第1回のツアーには定員40人に対して150人もの申し込みがあり、事業所の新人研修で参加といったケースもあった。
行政が市民の要望を感じ取り、あちこちと相談し、協力を得て実現させるという、思えば当たり前のことの成果だった。しかし、それがなかなかなされない。
一耕社代表・新沼友啓
《この年のブーム》
〈コアラ〉オーストラリアからコアラ6頭が初上陸、〈カラムーチョ〉後に激辛ブーム、〈エリマキトカゲ〉三菱・ミラージュのテレビCMなどで話題に
3月30日 苫小牧川の新苫小牧川への切り替え通水式実施
31日 国鉄の合理化により沼ノ端駅、錦岡駅、勇払駅が無人化
4月 7日 啓明中学校開校
18日 苫小牧漁協組合が錦多峰サケ・マスふ化場の落成式を行う
5月23日 いすゞ自動車北海道工場が開所式。苫東生産工場の第1号。6月4日操業開始
6月22日 大洗フェリー航路が苫小牧、室蘭の同時就航で開設認可
7月20日 道開発庁が千歳川放水路計画について年内のルート決定を表明
8月31日 苫東国家石油備蓄基地の南地区第1期工事が完了し、翌9月1日にオイルイン
9月 1日 新明町、あけぼの町が誕生
10月10日 第1回苫小牧マラソン大会開催
12月20日 千歳川放水路計画で東ルート決定
いすゞ自動車北海道工場の開所式が5月23日行われた。地元関係者が手放しで喜ぶ中、飛山一男社長は「芝居でいうと、舞台装置、照明、配役も決まってこれから幕開けだ」と緊張感を隠さず、その姿勢に大きな違いを見せた。以下、飛山社長の話。
「自動車産業にとって土地選択にはさまざまな条件が必要。広さ、搬送の利便、協力企業群がつくれるかどうかなど。前社長が南九州、中部地方を物色したが、最終的には地元の熱意、土地の広さ、雪の少なさ、港が近いことなどが決定条件になった。運営面では道路、港、電力などが大きなものとなるが、電気料金、税制上で配慮をお願いしたい。裾野の広い自動車産業なので地域産業に貢献できると考える。情報交換などは積極的に行いたい。今後は道内高卒者を採用していきたい」
(昭和59年5月24日付「苫小牧民報」より)