この私、百に近い国々を周遊してきたが、いつの頃からか、アジアを訪ね歩くことが多くなっているようだ。そのせいだろう、いろんな方から「なぜ作家としてアジアを主たるテリトリーにしているのか?」とよく聞かれる。
その理由は青春時代にくり返しヨーロッパに滞在していたことにある。
ベルリンへの短期留学、日系の旅行代理店のハンブルク駐在員、契約での旅行添乗員、暇に明かしての放浪旅行……。
そうしたヨーロッパに滞在したり、出かけたりしたのはどういうわけか、よくわからないが、いつも冬場だった。ご存じのようにヨーロッパの冬は南欧をのぞけば、とんでもなく寒い。多くの国が苫小牧あたりよりも寒いだろう。
20代の私は相当に貧乏だったので、アパートはもちろんのこと、ホテルにしても風呂がないどころか、お湯も出ないようなところにばかり泊まっていた。手がかじかむほどに冷たい水にひたしたタオルで体をゴシゴシ拭くのが入浴の代わりだった。
そんなことよりもはるかにつらかったのが洗濯だろう。たらいに凍りつくような水を張って洗うのだが、分厚い冬物の衣服なので、いやというほどに時間がかかってしまう。おかげで始終シモヤケをこしらえており、私にとって洗濯は耐えがたいほどの苦行で拷問に等しい。
若い時の苦労は買ってでもしろ――。
そう考えないのが私という人間の性格だ。
若き日本男児ウチヤマはない知恵を絞ってよ~く考えた。
一年中ポカポカと暖かい国に行けば、そんな苦労をしなくても済むはずだ。熱帯なら薄着で問題ないだろう。Tシャツに短パン、サンダルの三点セットだけで年中暮らせるに違いない。
そこでヨーロッパはそろそろやめにして、日本からだと近くて行きやすいアジアの熱帯、もしくは亜熱帯の国々にシフトしたというわけだ。
そういうルーズで、一見きちんとしていないファッションでいようとも、誰も気にもしないおおらかさがアジアの国々にはある。ずぼらな私にはうってつけだ。こうしてアジアを仕事の主戦場にする物書きが誕生したのだった。
まあ、恐縮ながら、たいした話ではない。が、ヨーロッパの気候の厳しさが私をアジアに向かわせたことだけは間違いない。
★メモ 厚真町生まれ。苫小牧工業高等専門学校、慶應義塾大学卒。小説、随筆などで活躍中。「樹海旅団」など著書多数。「ナンミン・ロード」は映画化、「トウキョウ・バグ」は大藪春彦賞の最終候補。浅野温子主演の舞台「悪戦」では原作を書き、苫高専時代の同期生で脚本家・演出家の水谷龍二とコラボした。