青函トンネルが1988年に開業して35年が過ぎた。きのうの北海道新聞の特集の報道。自分は、トンネル掘削の契機となった54年9月の15号=洞爺丸台風を幼時に体験した世代。納屋に避難したことや翌日、台風一過の青空の下で煙突の支柱が倒れていたことを覚えている。
理科年表によると、15号台風は9月25~27日に各地を襲い、死者1361人、行方不明400人など大きな被害を与えた。特に北海道では洞爺丸を始めとする5隻の青函連絡船が強風に襲われて転覆したほか後志管内岩内町の岩内大火も、暴風にあおられて広まったとされる。
悲惨な事故を防ぐため青函トンネル工事が始まったのは64年5月。完成したのは87年11月。翌88年3月に開業し同時に青函連絡船は運航を終了したという。
連絡船には中学、高校の修学旅行で初めて乗った。飛行機の時代が到来して実はトンネルを通った経験はまだない。
70年前後に聞いた連絡船ホームの音は今でもはっきりと耳の奥に残っている。「はこだて~ はこだて~」という独特の節回しの駅名放送。ポポ~ン、ポポ~ンと、もの悲しい「蛍の光」(イギリス民謡「別れのワルツ」)の旋律。聞きながら連絡船へ急いだものだ。出港間近にはジャーンジャーンとどらの音も。(水)