人生初の飛行機に乗り、北の大地にやって来た。苫小牧市へと向かうバスの車窓から見た木々に緑はまだなく、道路は雪解け水で泥だらけ。「これはえらいとこに来たな」。1972年、24歳の春のことだ。
生まれ育った兵庫県姫路市内の工業高校を卒業し、「一緒に受けよう」と友人の誘いがきっかけで出光興産に入社した。同市の兵庫製油所建設に携わり、「真っさらな土地に巨大な工場が出来上がっていく」過程がたまらなく刺激的だった。
同所は70年にめでたく完成。続いて北海道、愛知県で製油所が建設されることを知り「もう一度建設に携わりたい。地元から出て、自立心も鍛えよう」と北海道製油所(苫小牧市真砂町)転勤を志願した。「当時の上司に『何か問題があるのか』と心配されたし、家族も全員びっくりしていた」という。
72年3月から苫小牧市での生活が始まった。兵庫製油所時代と同様、ポンプやパイプラインなどオフサイト設備の建設に携わった。製油所周辺の土地は開発途上。社員寮と製油所を往来する送迎バスは日々ルートを変えながら、でこぼこ道を進み「一番後ろに乗ると揺れるたびに天井に頭をぶつけるんだよ」と懐かしむ。
寮生活も一つの楽しみ。3人1部屋で「家族のような和気あいあいとした雰囲気」。自身はもちろん東北や九州など道外出身者が多く、「いろんな方言が飛び交って面白かった」。
建設業務が一段落すると、当時は4直3交代制だった石油精製設備などの運転をつかさどる直員のリーダー「直長」に抜てきされた。「チームワークが大切」と10代、20代前半の仲間たちと日々安全、安定操業に努めた。業務改善活動推進リーダーも担い、業務効率化や風通しのいい職場づくりに尽力した。
子会社の出光プランテック北海道出向時に2003年のタンク火災を経験。鎮火まで44時間を要した2度目の火災時は、日本全国から続々と到着する泡消化剤を消防車両に補充した。収束後、所員たちが地域の自宅1件1件に謝罪行脚し「これから大変だけど、体を壊さないよう頑張って」など励ましの声を伝え聞き「地域の方々に支えられていることを痛切に感じた」と言う。
40歳から地域のボランティア活動にも精を出す。町内会副会長や民生委員、北海道地域防災マスターの認定も受け「町内のためになる、明るくなるように」と志を高く持ち続ける。
竣工(しゅんこう)前から約40年にわたって支えた北海道製油所は、今年9月に50周年の記念すべき節目を迎えた。「エネルギー業界は大きな変革期を迎えているが、どんな変化にも対応できる所員たちがそろっているはず。自信を持って突き進んでいってほしい」とエールを送った。
(北畠授)
◇◆ プロフィル ◇◆
有本定巳(ありもと・さだみ)1948(昭和23)年1月、兵庫県姫路市生まれ。6人きょうだいの末っ子で地元の高校を卒業後、66(同41)年に出光興産へ入社し、兵庫製油所(2003年生産停止)の建設に携わる。72(同47)年に北海道製油所へ転勤後は運転、設備管理、安全管理など多方面で同所を支えた。地域の町内会活動にも尽力。苫小牧市美園町在住。