放置すれば草ぼうぼうの土地だが、人に世話され続ける特別な場所がある。名のある庭園はもちろんのこと、野球場もその一種と思う。1960年代から既にあった古い練習球場のフェンスに張り巡らされた板に今年、関係者が3カ月間ペンキを塗り続けて「その日」に備えた。
先月、白老町町制施行70周年・大昭和製紙北海道黒獅子旗獲得50周年記念の北海道社会人野球結成記念大会が日本製紙白老球場=旧大昭和製紙球場で開かれた。都市対抗で74年の本道勢初優勝から半世紀を祝う式典が最終日にあり、優勝時の部員15人が球場内に整然と並んで観客と対面した。当時の監督で後に本社チームでも優勝監督となった安藤喜春さん(83)は74年Vを「補強選手も含めたオール北海道で成し遂げた優勝」と回顧。捕手で最初の休部時に日産自動車へ移籍して後に監督や全日本指揮も担った村上忠則さん(75)は「白老の球場を離れて43年。きょうは一生の宝物です」。前夜は元部員50人が祝宴で絆を深めたという。
逸話の残る球場が圏域に多い。24年前までは王子製紙苫小牧が錬成した清水野球場も思い出深い。夏の選手権連覇と準Vの駒大苫小牧はじめ甲子園出場各校グラウンドもそうで、周年行事に昔の顔触れ集合の日があれば、素晴らしい。(谷)