ご縁 山田(やまだ) 麻以(まい)

  • ゆのみ, 特集
  • 2024年9月5日
ご縁 山田(やまだ) 麻以(まい)

  死をカジュアルに語る、デスカフェを苫小牧市高砂町の正光寺で、毎月開催しています。その中で、時々話すことがあります。

   湯灌に伺った際、ご家族に「これもご縁ですね」と言っていただいたことについてです。私はこの言葉をどう受け止めればいいのか分からないまま、それからもたくさんの故人さまとご家族に出会う日々を送っていました。

   ある日、大切な友人が亡くなりました。湯灌をできるご遺体の状態ではなかったのですが、抱き締めた感覚、頬を付けた時の感触、表情は今でもしっかり覚えています。この時のご両親の「最後に会いたかったんだと思う。ありがとう」という言葉に、死がご縁になることを感じました。「私が送り出せて良かった」と心底思い、友人とご両親に救われた気持ちにもなりました。

   私が今ここにあるのは、ご縁の中でのことです。全てはつながっていて、あるべき時に重なり、また離れ、そしてまたいつか重なる。ご縁は「全て」なのだとふに落ちました。

   その時から、私が湯灌をすることには、意味が必ずあるという意識を持ちました。今は分からなくとも、いつか分かる日がやって来る。その日まで、これまで以上にこの仕事と誠実に向き合っていくつもりです。

   そして、どのように生きていくのか、デスカフェの中で考えています。そうさせるのが、「死」の一つの役割なのかもしれません。2011年に湯灌の仕事を始め、同時期に母が若年性認知症と診断され、在宅介護を経験し、思いがけず父を見送りました。死がご縁であるように、絶望的に見えることも、そうではない側面に目を向けられるようになりたい。そんなお話をしています。

  (納棺師・苫小牧)

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