胆振の東端の農業の町で生まれ、1954年9月末、青函連絡船洞爺丸をのみ込み、1300人以上の命を奪った「洞爺丸台風」を始めとする大小の台風や洪水を危険の判断の基準にして育った。
川は、水遊びをしている時の何倍、何十倍の幅や深さになった。濁流は上流の大木をのみ込み、根や葉を付けたまま流した。台風一過の青空が、濁流のしぶきを吸い上げて薄茶に染まって見えるのが不思議だった。水が引いた跡の木の枝などの塊の中でネコなど小動物の遺骸を何体も見つけた。「川に近づかない」という、身を守る安全の基本は、この時に学んだと思う。一人支局勤務が長く、いろんな災害の取材をしたが幼い頃に恐怖とともに身に付けた知恵は役に立った。
この数日、九州南部からゆっくりゆっくり北上し、東や南に進路を変えながら移動する台風10号。けさ、起床して間もなく、激しい雷鳴とともに猛烈な雨が降り始めた。テレビに映る大雨への警報や注意は、九州も四国も関西も、そして関東や東北も北海道も、同じ画面に並ぶ。この数日は「遠隔豪雨」という言葉がよく聞こえる。台風の本体がどこにあるのかだけでなく、海水の表面温度や偏西風のゆがみが問題と教えられた。地球温暖化防止一辺倒は少し古いらしい。(水)