昭和35年4月、8年前に開店した苫小牧初の総合デパート「鶴丸百貨店」が3階建てに増築され、その屋上に「飛行塔」ができた。ゴールデンウイーク初日の29日、屋上開きが行われ、飛行塔は親子連れに大人気。子どもたちはぐるぐる回る飛行機から発展する街を眺め、夢を膨らませた。苫小牧港の内陸掘り込みが急ピッチで進められ、高度経済成長期のど真ん中で景気は上昇を続け、街のにぎわいは日に日に増していく。夢を乗せたこの飛行塔は人気を呼び、開設2年後、昭和37年の屋上開きの日(5月1日)には来場者数が7000人を超えた。苫小牧港に待望の第一船が入港する前年のことである。
■苫小牧初の「飛行塔」
昭和35年4月26日付の苫小牧民報には、次のような記事が掲載されている。
「市内初の飛行塔/二十九日お目見得/ここ市内のT(鶴丸)デパートでは、よい子を乗せて飛び回り、子どもの夢を誘う飛行塔の工事を着々と進めている。これは市内で初めてお目見えするもので、この総工費は七十六万円。完成は二十九日の屋上開きの予定。この日は苫工高のブラスバンド、人形劇などが催され、連休のゴールデンウイークにはたくさんの子どもたちに乗ってもらおうと、急ピッチで工事を進めている。待ちきれずに工事を見守る子どもたちの眼は早くも大空を飛んでいるよう」
「飛行塔」というのは、鉄塔の上から張り出されたアームに飛行機の胴体のような乗り物がぶら下げられ、それがぐるぐると回る。回りながらやや高度を上げ、飛行気分を楽しむ。
まあ、言ってみればそれだけのことで、安全ベルトで体を固定して振り回して一時のスリルを楽しませるような現在の遊具とは違ってまったくおとなしい。しかしその分、風景を見渡してあれこれと思いにふける余裕を持つ。小難しくいえば、まず、時代のコンセプトが違う。
鶴丸の飛行塔の場合は子どもなら4人ぐらい乗れたようだが、大都市や行楽地のものに比べるとかなり小さい。でも、苫小牧に初めてできた「都会」を思わせる遊具なのだ。
■移り変わる街の風景
鶴丸屋上から、子どもたちは何を見たのだろう。
昭和35年。北西側には樽前山を背景に王子製紙。その手前に3年ほど前から建ち始めた4階建ての中部アパート群(王子社宅)。王子スケートリンク(昭和36年埋め立て)の姿はまだあり、南側には、10年ほど前に完成した市民待望の市立総合病院2階建て新院舎が見える。東側ではあと3年で石炭船が入港する苫小牧港(現西港)の内陸掘り込みが急ピッチだ。北側はどうか。やや東よりに、完成間もないかまぼこ型の屋根の王子スポーツセンター(昭和33年完成)の姿がある。
本紙面掲載の飛行塔が撮影された昭和37年ではどうか。王子スケートリンクは埋め立てられて新工場の建設が進み、何より間近では、完成時(昭和38年4月)には北海道拓殖銀行(拓銀)やホテルトマコマイが入る王子不動産第一ビルの建設工事が、眺望を遮っている。苫小牧初の近代的ビルだ。
この2年間の苫小牧の街の変貌というのはすさまじい。昭和35年の苫小牧市の人口は6万3558人。この年の前後には年間約3000人ずつ人口が増え、市街地が拡大し、西小学校は児童があふれて大成小学校が開校した。2年後、昭和37年の人口は約7000人増えて7万656人。啓北中学校や光洋中学校が開校し、前年の明野地区に続いて清水町地区で港の掘り込み土砂による低湿地の埋め立て宅地造成工事が進んでいた。
■人情と郷土愛
この頃、この街にも児童公園や行楽施設がようやくでき始めた。ウトナイ湖にユースホステルができたのが昭和35年。湖畔には、たくさんのボートが並んだ。
街の変貌を一望できる「鶴丸の屋上」は市民の身近な行楽施設となり、毎年、ゴールデンウイークの「屋上開き」は大にぎわい。昭和37年の苫小牧民報は、5月1日だけで「メーデー帰りの人などで七千人以上」と報じている。
屋上には、周囲の景色を眺められる望遠鏡も設置され、平日でも午後になると小学生や就学前の子どもたちが遊びに来るので、「けがのないように」と店員さんを配置して気配りしたのは、地元デパートならではの人情だ。
変わりゆく苫小牧と勇払原野の姿を目の当たりにしながら、愛すべき故郷の自然や文化をいま一度見詰めようと苫小牧郷土文化研究会が発足(昭和35年4月)したのは、この「飛行塔」が回り始めた年のことだった。
(一耕社・新沼友啓)
本欄上の大きな写真は鶴丸百貨店の屋上。子どもたちは屋上に設置された「飛行塔」に乗るためにやって来たのだという。女の子はベレー帽をかぶり男の子はセーターや学生服を着ている。この当時の人々は街へ出掛ける時、よそ行きの格好に着替えた。王子の社員の子なら、お父さんの給料日の後、家族そろってよそ行き姿で街へ行くというのがお決まりだったそうだ。普段着がおしゃれになった今、よそ行きの格好をしなければならない場所はそう見当たらない。
この頃、苫小牧の街には高い建物がほとんどなく、3階建ての鶴丸デパートの屋上から苫小牧の街が見渡せた。ただ、写真の背景に、工事中のビルが写っている。これは今も駅通十字街にある王子不動産第一ビルで、苫小牧で最初の本格的なビルだ。高い建物や飛行塔などの目新しい物ができることに、大人も子どもも苫小牧の街の発展を実感し、さらなる夢を抱いていたのだとか。昭和41年の駅前通の写真は、雑多な風景の中に生活感が漂う。
当時鶴丸百貨店が建っていた場所(駅本通と一条通の交差点西側)を訪ねると、今は9階建てのホテルが建ち、当時の街並みとはまったく違う風景があった。建物はどれも高層になり、一条通には当時のようなアーケードもない。人々でにぎわう街というよりは、車が行き交う街だ。街が発展して都市化するというのは、生活のにおいがなくなるということなのだろうか。
(一耕社、斉藤彩加)