いきなり自分の話になるが、私は動物が大好きだ。子どもの頃から実家でいろいろなペットを飼い、東京にいた時はよく近郊の動物園巡りをしていた。
だから、穂別に来た頃は「獣害」といわれても、あまりピンと来なかった。「野生動物に囲まれた暮らしなんてステキじゃない」と心の中で思っていた。
ところが、すぐに運転中の鹿やアライグマの横断に悩まされるようになった。停車した車に鹿がドンと体当たりしてきて、「どうして」と途方に暮れたこともある。
診察室に来る農家の人たちはもっと深刻だ。「どこから入ってきたのか、ハウスのメロンが全部アライグマにやられた」「ついにクマが出てスイカ畑を荒らされた」「カラスがカボチャをつついちゃって」など、毎日のように獣害の話を聞く。
当たり前の話だが、「動物ってかわいい」とばかり言ってはいられないのだ。
ただ、穂別の人たちはいつもユーモアの精神を忘れない。深刻な被害なのにどこかおもしろみを込めて話してくれる。「トウモロコシが実ってきて、明日あたり収穫するか、と家族で話しながら眠りに就くでしょう。そうすると、翌朝にはちゃんと鹿が先に来て取っていってるの。鹿がどこかで話を聞いてるのかね」「ハトだって果物をつついちゃうのよ。でも、こっちが見つけるとパッとやめて、”平和の象徴です”みたいな顔するのよ」
農家にとっては切実な話なのに、つい大笑いしてしまう。話してくれる人も、「ね、賢いのよ、動物は」と半ば感心したような顔で言って笑う。「保護か、駆除か」といった単純な二分法では語れない動物との関係を感じる。
「私の宿舎の前にも鹿が来る」と言うと、東京の知人は「かわいいでしょう」と目を輝かせる。「うーん、玄関にフンはしていくし庭は荒れちゃうし、けっこう大変」と答えて、「あんなに動物が好きだったのに、なんだか変わっちゃったね」と言われたこともある。
そんな時、心の中で私はそっとつぶやく。「もちろん野生動物は大切だと思ってる。でも、それだけではすまないのよ。ときには動物から作物を守り、身の危険を防がなければならないことだってあるからね」
きょうも、道に飛び出す鹿に気を付けながら運転しよう。向こうも生きるのに必死、こちらも必死なのだ。それこそが「共生」なのだと思う。
(むかわ町国保穂別診療所副所長、北洋大学客員教授)