苫小牧で生花店の4兄弟長男として生まれた。子どもの頃から帰宅後は家業を手伝い、「将来は花屋になるのかな」と意識していた。高校卒業後は札幌市の北海道綜合美術専門学校(現北海道芸術デザイン専門学校)に進学し、建築を学んだ。ここを選んだ理由も「建物から花を見ることができるようになれば」という思いからだ。
美術専門学校卒業後は設計事務所に就職。現場で職人から上下関係や仕事場での所作、掃除の仕方や作業の段取りまでたたき込まれた。社長からは気配りの仕方などを学んだという。
2年ほど勤めた後、父の勧めで生花通信配達を行う花キューピットグループの日本フラワーカレッジに入学。1年間、フローリストとして必要な技術や商品知識を身に付けた。学校は楽しかったといい「一つアレンジを作ったら、それをばらばらにして何回も練習する。成績は良かったと思う」と笑う。
1997年、家業のさむ川生花店を継ぐため、苫小牧に戻ってきた。当時はブライダル全盛期。年間400本もブーケを作った。「すぐに実践的な仕事ができたのは良かった」と振り返るが、当時は日常の仕事の後、寝る暇も惜しんで結婚式用のアレンジに取り組んだという。「その頃のお客さんはこだわりがあったから、合わせるのが大変だった」と懐かしむ。
2004年から10年ほど、7月の満月の夜にフラワーデザインイベント「月花」を開催。青年会議所で出会った仲間とともに、月と花、お酒を楽しむ企画で、毎回テーマに沿った趣向を凝らした花で空間を演出。好評だったが、多忙で終了したという。
仕事の傍ら、コンテストへの出品を今も続けている。「全道、全国に知り合いが増え視野が広がり、ためになる」と話す。普段の仕事もコンテストのつもりで取り組むという。審査員は客。「お客さんが「すてき」と喜んでくれたら「『よし』と思う。やってきたことが合ってるのかな」と思う。
毎年、コンテストには挑戦してきたが、学校を卒業してから花に向き合うのは「我流」だった。19年に国内外で活躍するフローリストの佐々木直喜氏に師事。「花を生かすことが大事。すべての花が美しければ、全体が美しいという考え方に共感した。年に数回レッスンに通うが刺激を受けている」
「まだ勉強できる」と意欲はおう盛。今後は「デザイン性を高めて、『さむ川の花を贈りたい』と言ってもらえるように、ブランド価値を上げる努力をする。花はすてきと思ってもらいたいし、学んだことを顧客に返していきたい」と向上心はやまない。
(今成佳恵)
◇◆ プロフィル ◇◆
米田 嘉慎(よねた・よしのり) 1973年3月9日、苫小牧市生まれ。北海道綜合美術専門学校で建築を学び、卒業後は設計事務所に就職。97年に家業のさむ川生花店を継ぐため、苫小牧に戻る。現在は苫小牧生花商組合組合長。緑町在住。