【7】岩手県葛巻町で終戦 苫小牧市はまなす町在住 馬渕(まぶち)光雄(みつお)さん(91) 悲しかった村民の玉砕

  • 8.15の記憶~戦後79年~, 特集
  • 2024年8月13日
【7】岩手県葛巻町で終戦 苫小牧市はまなす町在住 馬渕(まぶち)光雄(みつお)さん(91) 悲しかった村民の玉砕

  私が4歳の頃、父は陸軍で支那事変(日中戦争)を経験しました。復員した時、家族で喜び合った日のことを時々思い出します。叔父2人も出征し1人はフィリピン・ルソン島で戦死、もう1人はインドから無事に帰りました。

   1943(昭和18)年のアリューシャン列島アッツ島の戦いで、日本陸軍が玉砕した時のことは強く印象に残っています。戦死者の中には20代の村民もおり、お寺での村葬は村中の人であふれ、私も遠巻きながら弔いに加わりました。玉砕は悲しいものだと思いました。

   戦時中は岩手にも米軍機が飛来しましたが、幸い自分が住む村への空襲はありませんでした。軍服の素材となる繊維を取るクワの皮むきや軍需工場の原料集めに駆り出され、まともな授業を受けた記憶はありません。

   12歳で迎えた夏休みの暑い日。友人と川遊びをしていると、昼前ぐらいに学校から呼び出されて駆け付けると、校舎の窓辺に玉音放送を流すためのラジオが置かれていました。130人ほど集まって耳を傾けたのですが雑音でうまく聴き取れず周囲の反応を見て、日本の敗戦を知りました。戦争には勝つと思っていたのでぼうぜんとしました。

   供出によって食糧が限られ、米はめったに食べられませんでした。よく山菜採りをしていたこともあって現在も食べられる植物かどうかを見分けられます。日本は今、豊かで平和な国です。海外では戦争が続いていますが、国民を苦しめるだけです。あのまま戦争が続いていたら、この国の歴史もどうなっていたか分かりません。

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