厚真の地で2005年10月、自らの雅号で習字教室を開設して来年10月で節目の20周年を迎える。インターネットが普及した現代において、「筆文字ができるのは特別なことなんだよ」と町内から通ってくる子どもから一般まで50人ほどいる幅広い世代に、古くからの日本文化を伝えている。「20年もやってきたんだな」と時の流れをかみしめながら、「興味を持って来てくれる人がいるのがうれしい」と顔をほころばせる。
1949(昭和24)年、戦後の厚真町(当時厚真村)で生まれ、小学校、中学校と進んだ。ただ、「あの頃は高校進学か集団就職の時代。父は『女に教育はいらない』という人だったけれど、わたしは頭良い、悪い関係なしに勉強が好きだった」。当時中学校の担任が親を説得してくれたおかげもあって、高校に進学することができたという。
高校卒業後、地元を離れ、21歳で結婚。転勤族の夫と各地を転々とした。40歳をすぎて札幌市内で暮らしていた時、義母の介護が一段落したことがきっかけとなり、習い事を始めようと習字の筆を握った。「もともと『字がきれい』と褒められることが多かった」と父親譲りの気質もあってか、めきめき上達し、10年ほどで日本習字の8段を取得した。
その後、厚真に戻って2階建ての実家の1階一室のスペースを確保し、教室を開いた。人が人を呼ぶように生徒が増え、ピーク時には100人以上となり、上厚真地区と2会場に分けて教室を構えた時もあった。「親が習わせたいからというケースはあまりなくて、子ども自身で筆文字を『書きたい』と来る」と驚かされる。「習字は鉛筆のように消すことができないし、墨で汚れることもある。集中力がついて、子どもたちから勉強の方の成績も上がったという話を聞くんです」とうれしそうに話す。
書道だけではなく、学校であったこと、進路の悩みなど、時にはよき相談相手となって子どもの声に耳を傾けることもある。学校でもない、家庭でもない場所、地域の子どもたちにとっての「第3の居場所」がそこにはある。「特別気遣うこともなく自然体で、子どもの目線になって話を聞く。楽しませてもらってますよ」
現在は家族で経営する会社の経理を担当しながら、次世代を担う子どもたちから一般まで町民50人ほどが通う。この春にはまだ小さな児童がドッと増え、うれしい悲鳴も上げる。「低学年の子たちも入ってきているので、80歳まで頑張らないと。ボケていられないなって思います」と笑顔を見せる。
(石川鉄也)
◇◆ プロフィル ◇◆
中井るみ子(なかい・るみこ) 1949(昭和24)年9月、厚真町生まれ。苫小牧西高校卒業。40代になって始めた書道で2005年10月に厚真町内で習字教室を開設し、町民に書道を指導する。自らも地元の米を使った日本酒「あつま川」のラベルを揮毫(きごう)したほか、公益財団法人日本習字教育財団が主催する「観梅展」で審査員特別賞を受賞するなど幅広く活躍している。厚真町京町在住。