1878年、苫小牧の美々に約185平方メートルの鹿肉の缶詰製造所が完成した。初年度は年間7万6313缶を製造し、10~20人が働いていた。翌年には倉庫や従業員が休む小屋を建て、設備も増設した。
開拓使は北海道の振興のため、ビールやみそ、しょうゆ、紙、缶詰などの工場を全道各地に造った。美々の工場は、先に完成した日本で初めて鹿肉缶詰を生産した石狩缶詰所を手本にしている。
缶詰は塩味1種類で、1ポンド(約450グラム)と2ポンドの2種類があった。ラベルには日本語と英語の表記があり、食べ方まで解説している。海外輸出を目標としていたため、外国人商人に試食、品評を依頼したほか、オーストラリアのシドニーで行われた万国博覧会では、賞をもらうほど評判は上々だった。
乱獲によりあっという間に廃止
冬の間シカは、雪の多い日本海側から雪の少ない太平洋側、特に胆振、日高、十勝方面に移動して来る。そのため猟は11~2月に行われ、缶詰製造は12~2月に集中する。
製造開始の翌年、むやみな狩猟に加え、1、2月の記録的な降雪のため10万頭のシカが餓死してしまうという事態に。その頃、鉄道の開通による自然環境の変化も起こっていた。
1880年、原料となるシカの生息数の減少が決定打となり、製造は中止。4年後には、缶詰製造所は廃止となってしまう。
苫小牧市美術博物館学芸員の佐藤麻莉さんは「1ポンド入りで1缶25銭(米1升の4、5倍の値段)の高級品だった。サケやマスの缶詰に比べて在庫も多くあったようだ」と末路を話す。開拓使が取り組んだ近代化事業の一端が苫小牧に存在し、貴重な歴史の一つだということに変わりはない。
(通信員 山田みえこ)
【メモ】
所在地…苫小牧市美沢134
※缶詰は苫小牧市美術博物館内に常設展示