勇払開拓史跡公園には、八王子千人同心など合わせて29人がまつられている。最も古い墓石は1800年のものだ。
同年、勇払会所が開いた翌年、千人同心は北方警備と開拓のため、蝦夷地(現在の北海道および周辺地域)に移住してきた。千人頭の原半左衛門を隊長に、その弟新介を副士に100人を伴い蝦夷地に入る。そのうち新介率いる50人が勇払にとどまり、残りの50人は白糠へと向かった。
その頃の勇払会所は交通、交易、行政の要所として大きな集落を築いていた。一方千人同心は、火山灰地で畑作に向かない土地の開墾に苦労していた。病気で亡くなる者や八王子に帰る者が多数出て、1804年に千人同心による警備や開墾は中止となった。
1973年、苫小牧市は市制25周年を機に、東京都八王子市と姉妹都市の盟約を結ぶ。現在も八王子市の小中学校では、カレーラーメン風スープやヨーグルトのハスカップソースが給食に登場するなど、交流が続いている。
奇跡的に見つかった品
八王子千人同心の千人頭原半左衛門は、白糠に移住し警備や開墾などに従事した。近年、釧路市の大成寺の金毘羅堂で新たに発見されたのが、半左衛門が白糠に奉納したとみられる「鰐口(わにぐち)」だ。
鰐口とは神社仏閣の堂前に掛けられた、打ち鳴らすことで功徳を得るという鋳造製の仏具。直径約15センチ、厚み約5センチ、左右の上部に吊り下げるための耳が付いている。半左衛門の名前や奉納した年月日が刻まれた確かな品だ。
白糠の千人同心の様子を知る資料はほとんどなかったため、奇跡の発見と言われ、新たな解明が期待される。
(通信員 山田みえこ)
【メモ】
1956年3月10日指定
所在地…苫小牧市勇払132の38
管理者…苫小牧市教育委員会