札幌で起きた事件について、コメント取材があった。介護疲れから認知症の妻を殺害したという罪に問われている高齢男性の裁判についてだ。
一通りコメントした後で、電話してきた記者がこう質問した。「香山さんが今いる町でも、孤立した状況で介護をしている高齢者はいるのでしょうか?」
私は返答に困ってしまった。確かに介護で大変な思いをしている人はいるが、完全に孤立しているとも言えないからである。
まずは地域の保健師たちが、「あの家は夫ひとりで病気の妻の介護をして大変そう」と把握し、必要ならば訪問したり、介護サービスが受けられるように手配をしてくれたりする。
また近所の人たちもそれぞれの家庭の状況をだいたい知っており、時には「あそこの人が心配なんだよね」と保健師や医師のところに相談に来る人もいる。民生委員たちも頑張って地域住民の困り事の相談に乗っている。町の自治会の機能がまだ生きているのだ。
私は記者に言った。「介護の苦労はあっても、誰にも知られずに一人で悩んでいる、という人は少ないんじゃないですかね。どこで誰がどう暮らしている、と行政もそれぞれの地域の人もだいたい知ってますからね」
記者は「はー、なるほど」と驚いたような声を上げた。
東京の状況はもっと深刻だ。役所の福祉課の知人は窓から外を見て、こう嘆いていた。
「あそこに見えるマンション一つとっても、あの中に高齢者や病人がどれくらいいるのか、誰が世話をしているのかとか、全然分からない。そういうマンションがこの区だけでも無数にある。相談に来てくれないかぎり、こちらから何かするのは難しい」
誰にも知られずに自由に買い物をしたり食事をしたりできるのは、都会のよいところ。でも、いったんピンチに陥っても、「助けて」と言わないかぎりは誰も手を差し伸べてくれない。特に高齢者にとっては、都会は決してやさしい居場所ではないのだ。
とはいえ、小さな町でも「困っている」となかなか声を出せない人もいるだろう。人生に悩みはつきもの、何かあったら遠慮なく「ちょっと助けてよ」と言って、お互い頼り合い助け合って生きていきたい。
(むかわ町国保穂別診療所副所長、北洋大学客員教授)