◇2 書店は情報、文化の発信源 少年少女漫画雑誌に夢膨らむ 昭和31年 駅前通の本屋さん 風景今昔 街角にあった優しい本屋さん 子どもたちが夢中で立ち読み

  • 昭和の街角風景, 特集
  • 2024年4月22日
書店の店先で漫画雑誌に夢中な子どもたち(昭和31年)
書店の店先で漫画雑誌に夢中な子どもたち(昭和31年)
駅前通は自転車天国。自動車はたまに通るだけ(昭和31年)
駅前通は自転車天国。自動車はたまに通るだけ(昭和31年)
鶴丸跡のホテル(左)の向かいに新生堂書店、苫小牧駅(写真奥)近くに君島書店があった
鶴丸跡のホテル(左)の向かいに新生堂書店、苫小牧駅(写真奥)近くに君島書店があった
パチンコは戦後、急速に広がった。苫小牧でも1951(昭和26)年に苫小牧パチンコ業親睦組合(8人)ができ、年々盛んになった。この頃のパチンコは、台の前に立ち、手で玉を入れてはじく (昭和37年)
パチンコは戦後、急速に広がった。苫小牧でも1951(昭和26)年に苫小牧パチンコ業親睦組合(8人)ができ、年々盛んになった。この頃のパチンコは、台の前に立ち、手で玉を入れてはじく (昭和37年)

 少年クラブ、少女クラブ、ぼくら(以上講談社)、少年(光文社)、おもしろブック、幼年ブック(集英社)、冒険王、漫画王(秋田書店)…など、敗戦後の耐乏生活からようやく抜け出した昭和30年前後、子どもたちが心躍らせる漫画雑誌が書店の店頭に数多く並んだ。「鉄腕アトム」(手塚治虫)や「鉄人28号」(横山光輝)=いずれも「少年」=が夢をかき立てた。その頃、子どもたちにとっての情報源といえば少年少女雑誌、漫画であり、その発信源は「本屋さん」であった。書店は子どもたちに本と共に、夢や希望を与えた。

 ■昭和31年の書店

 苫小牧の歴史を書きつづった「苫小牧市史」という分厚い本があり、その中に昭和31年7月1日現在の「業名分類別店舗数」というのが載っている。平たくいえば、その頃何屋さんが何軒あったかをまとめたものだ。

 それによると、苫小牧全体で小売店は法人、個人商店を合わせて約600店あり、業種別に最も多かったのは飲食店で126店、2番目は菓子店で81店、以下食料品店66店、鮮魚店20店、時計眼鏡店18店、酒店と用品雑貨店が16店ずつ、そして、本欄左上の写真にあるような書籍・雑誌店が14店と続く。

 同年前後の市街地地図を見れば、駅前通りに君島書店、新生堂書店、一条通に松尾書店、三栄堂書店、大通(国道36号)に坂東書店、旭館通に兼田書店などの名前が見える。

 この年の苫小牧の人口が約5万4000人、現在の人口が約16万6000人。人口比を掛け合わせれば、今の苫小牧に42店もの本屋さんがあることになる。もちろん、一軒一軒の規模は小さかったが、それらが市民の文化、生活情報の重要な発信源であった。

 ■クイズ流行で書店が繁盛

 昭和31年のこの年、鉄腕アトムと鉄人28号に夢中になる子どもたちの傍らで、大人たちはボナンザグラムに夢中になった。空白を文字(漢字)や文章で埋めて正解を引き出すクイズで、全国紙や道内紙が掲載したのが人気を得た。解答をはがきに書いて投函(とうかん)する。一人で20通も投函する人がざらにいて、郵便局はホクホクだったと、当時の苫小牧民報(昭和31年7月26日付)が報道している。そして思わぬ繁盛を得たのが本屋さんだ。空白に漢字や文章を埋め込むクイズだから、漢字辞典が売れた。クイズ解答参考書まで発売された。

 クイズを載せた週刊誌も売れた。「ただし、問題が比較的易しいものばかりである。難しいものになると売れない。というのは、北海道と(解答の宛先の)東京があまりにも離れているので、締め切りに間に合わない」(苫小牧民報)からだという。

 ともあれ、書店や本というものが、生活の中にしっかりと根付いていた時代であった。

 ■減少要因はスマホ?

 全国の書店数を見れば、1980年代後期に2万8000店ほどを記録したのをピークに減り始め、2022年には8169店にまで減った。

 ただ、この減少傾向の中でも、10年までは店舗の総坪数は増えてきた。つまり、小さな書店が姿を消し、大手の大型店舗に集約されていったのだ。ところが、10年以降は、総坪数も減少し始め、それが続いている。

 10年以降に、何があったのか。「情報」の分野で思いを巡らせば、スマートフォンの普及に思い当たる。07年に登場した「スマホ」は、瞬く間に情報活動の中心に座った。

 書店の店先で漫画に食い入っていた子どもたちが60代になった時代、子どもたちはスマホの画面を食い入るように見、指を動かしていた。情報の得方、在り方が大きく変わったのである。そのことと共に、誰もが不特定多数に手軽に情報を発信できるという不慣れな行いが、多くの問題を引き起こしている。

 (一耕社・新沼友啓)

 子どもたちが集まって本を読んでいる写真(紙面上)。古本屋さんのようにも見えるが、そうではない。当時を知る人に聞くと、駅前本通の「鶴丸」向かいにあった「新生堂書店」の店先らしい。

 堂々と子どもたちが立ち読みをしている。坊主頭の男の子が読んでいるのは「鉄腕アトム」だ。新刊が出たのを読みに来ているのだろうか。路上に新本を陳列していることにすら驚くのに、漫画の立ち読みまで許してしまう優しい本屋さんが昭和のこの時代にはあったのだ。

 集まっている子どもたちは小学校低学年から中学生までのようだ。まだ家庭にテレビがなく、もちろんゲームなどもない。外で遊ぶ以外の娯楽といえばマンガを読むことだったのだろう。

 店の奥ではご婦人たちが何かの本を物色している。本は大事な情報源で、この時代の本屋さんは生活に密着していたのだ。今、書店にこんなに人が一斉に集まることがあるだろうか。

 昭和30年代の地図を見るとこの通りにはもう1軒「君島書店」があった。他には旅館やレストラン・食堂、薬局や時計店、パチンコ店などがあり、通りは人々でにぎわっていた。

 昔の駅前通りの写真(紙面右)の中では、パチンコ店と自転車が目立つ。パチンコ店の前にはたくさんの自転車が並んでおり、今も昔もパチンコ店が人気なのは変わらない。自転車は、通りの真ん中を横並びで堂々と走っている。

 今、同じ通り(駅前本通)を訪れてみると写真のような人々のにぎわいはなく、高い建物が建ち並んで都会のビル街のようだ。車社会ではちょっと敬遠されそうな町並み。往時の本屋さんはもうなかったが、裏通りに昔と同じ名前のパチンコ店の看板が残っていて驚いた。

 (一耕社・齋藤彩加)

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