亡き母の遺志を受け継いで、開業して50年を超える昔ながらの焼き肉店を営む。「商売って水物で、どんと構えた時にお客さんが誰も来なかったり、いきなりドッと来る時もある」としみじみ語る。「ちょっと古くさくても、老若男女問わずに足を運んでくれる。とにかくお客さんの笑顔が見たい」とサービス精神旺盛に試行錯誤を繰り返す。
札幌冬季五輪の開催や苫小牧東部開発会社の設立など、道内でも活発な動きがあった1972(昭和47)年に生まれた。活発な少年で小中学生の頃は野球に打ち込み、苫小牧工業高校時代は当時流行していたバンドに精を出した。卒業後はウェイクボードを楽しむなどとにかく活発だった。
20歳の頃、筋肉質に鍛え抜かれた二つ上の兄・一範さん(53)の体に魅せられ、ウエートトレーニングに励むようになると、兄に追いつき、追い越せとアームレスリングの世界に飛び込んだ。ただ、鍛えても思うように結果が出ず、もがいていた時期の方が長かったかもしれない。年齢を重ねてけがも増えたが、持ち前の負けず嫌いな性格から努力を続けた。競技に出合ってから10年、2013年に北海道チャンピオンの称号を手にした時の喜びは格別だった。
スポーツに明け暮れた40代後半になるにつれて、「今まで好き勝手に生きてきた」中で、親孝行を考えるようになった。3人の子どもを育てながら運転手の仕事で生計を立てていたが、一念発起。家業を手伝うため、掛け持ちでできる仕事に転職し、「最後は首をつるまでやった」と言うアームレスリングからもきっぱり身を引いた。
しかし、わずか数年後の21年2月。母・良子さんが病気で他界。周囲から店を続けるのは難しいのでは―との声もあったが、「もうちょっと、やらせてくれよ」と厨房(ちゅうぼう)に立つことをやめなかった。週末のみの営業に規模は縮小したが、ハンドメードや燻製(くんせい)のサービスを提供したり、店の外にキッチンカーを呼んだりと、手を変え、品を変えながらお客さんの笑顔とにぎわいの創出に知恵を振り絞ってきた。
思うように行かず、「もう辞めようかなと思った時に、新規のお客さんが来てくれて『また来るよ』と言って帰って行く。お客さんが喜んでくれるのが、続けられる力になっている」とかみしめる。どこかスポーツで培ってきたものにも似ているとさえ感じるという。
現在は、右腕腱板断裂の手術をしたため休業しているが、5月中の営業再開に向けて日々リハビリに励んでいる。「母さんの味を守りたい―との思いだけでここまでやってきた。体にむちを打ってでも、一日でも長く続けたい」。スポーツで培ったガッツと前向きな精神で店を盛り上げていく。(石川鉄也)
◇◆ プロフィル ◇◆
星山賢泰(ほしやま たかひろ) 1972(昭和47)年7月、苫小牧市生まれ。苫小牧工業高校卒業。2013年に北海道アームレスリング選手権大会・一般の部の65キロ以下級左腕で優勝を飾った。厚真町で行われている「あつま国際雪上3本引き大会」ではパンプアップ塾苫小牧のメンバーとして、5連覇を達成した。苫小牧市柏木町在住。