むかわ町穂別博物館は研究報告第39号を発行し、穂別地区の化石発掘の歴史や同館が果たす役割を解説している。西村智弘学芸員が同地区の古代生物学史を総説でまとめたほか、1975年のホベツアラキリュウ発見や82年の穂別町立博物館開館、2013年のカムイサウルス・ジャポニクス(通称むかわ竜)の発掘などを資料や年表を交えながら紹介した。報告は1984年以降、定期的に発表され、同館ホームページから閲覧できる。
西村学芸員の総説によると、北海道での化石収集は、開拓史に招かれたベンジャミン・ライマンが行った地質調査が初。1873~75年の間に、浦河の海岸沿いからアンモナイトやイノセラムス科の二枚貝などを採集した。1903~04年には東京帝国大学の矢部長克氏のアンモナイト研究により、穂別地域で3種類が報告された。
75年6月に穂別町の北部で脊椎動物化石が発見され、77年に国立科学博物館の長谷川善和氏により海生爬虫(はちゅう)類で首長竜のひれであるとされた。周辺地域の調査で胴体の大部分が発掘され、ホベツアラキリュウと命名。化石を収蔵・展示するため町が82年7月に穂別町立博物館を設立し、町民による化石の収集や寄贈がなされていることを記載した。
2003年には、カムイサウルスの一部が発見され、北海道大学総合博物館の小林快次氏を中心とする研究グループにより全身骨格が地層中に埋蔵されている可能性が指摘された。発掘が進み17年に恐竜の全身骨格と発表、19年にカムイサウルス・ジャポニクスと命名された。
同館の役割について、開館から地元を中心とした資料を収集し、国内有数の海生爬虫類化石コレクションを有するようになったことを紹介。一方で、地質的背景に関する研究例が少なく、後期白亜紀の古脊椎動物化石が穂別で多く見つかる理由が明らかになっていないなど課題を指摘している。
西村学芸員は同報告で「これらを解決する地質調査や共産化石の調査を行うことなども求められる」とし、「これまで調査の対象とされることが少なかった魚類化石や新生代の調査も期待される」と結んでいる。