小学校教諭だった父親の背中を見て育ち、中学時代に出会った体育教員にスポーツの楽しさを教えてもらったことがきっかけとなってこの道を目指したという。
教員時代はバドミントン部の顧問として汗を流した。自身も選手として全国教職員大会に出場しており、ノウハウを生徒に伝授した。
苫小牧明倫中学校では4回、緑陵中学校では5回、全国大会出場に導いた。緑陵中には優勝を果たし、同校の知名度を上げた教え子たちがいて、今でも忘れられないという。部活動指導を通じ「生徒一人ひとりの特性を生かし、目標に向かわせることは学級経営にも結び付いた」と振り返る。
むかわ町出身。仙台大学卒業。教員人生は苫小牧東中学校で始まり、市内4校と安平町で保健体育の教員、白老町やむかわ町で教頭、市内3校で校長を勤めた。
意識し続けたのは「子どもが真ん中の学校づくり」。学校の方針を考える時は常に、生徒主体の未来となるように進めてきた。
この先の教育現場に対し「予想できない未来に対応できる力の育成が必要」と話し、生徒には「夢を持ち、語って、実現してほしい。君たちならきっとできる」とエールを送った。