第3部 4 創成期知る仲間集結 「1期生」思い強く 12年に開かれた「北(製)創成期を語る集い」 仕掛け人の渡辺徹さん、実行委の大塚敏子さん

開催に尽力した渡辺さん(右)と大塚さん
開催に尽力した渡辺さん(右)と大塚さん
製油所創生期を知る所員が集まったイベント
製油所創生期を知る所員が集まったイベント

  2012年8月、北海道製油所の操業開始を知るOB、OGによる「北(製)創成期を語る集い」が苫小牧市内のホテルで開かれた。道内外から総勢169人が参加し、出光創業者の出光佐三氏が「(出光商会)店内における総ての事柄は親であり子であり、兄であり弟である」などと唱えた「大家族主義」を象徴する一大イベントになった。

   仕掛け人は当時管理課に勤めていた渡辺徹さん(74)。「課の垣根を越えて操業時の所員に声をかけたら、どうなるか」と思い立った。有志数名と実行委員会を結成し、1973年5月に発行された所内報「ほくとせい」の従業員アルバムを手に、男女410人一人ひとりの所在をたどった。

   北見市出身の渡辺さんは73年3月、千葉製油所から仲間60人ほどと共に異動してきた。当時23歳。「『自分たちが歴史をつくるんだ』とみんな希望に燃えていた」と振り返る。一方、最初に北海道製油所を訪れた日は、苫小牧地方は記録的な大雪に見舞われ「『こんな場所で製油所が本当に動くのか』と思ったよ」と懐かしむ。

   千葉時代は潤滑油の製造部門で汗を流したが、道製油所では給与計算や商品管理などのシステム化に従事した。寮生活は所属部署に関係ない2~3人1組の同居で、自然と交流の輪を広げた。会社公認の軟式野球部立ち上げに尽力し、多くの所員と絆を深めてきた。出光が掲げる主義の第一「人間尊重」を地で行くように、公私にわたって人付き合いを大切にした。

   だからこそ集いの実現に向けて奔走する渡辺さんに賛同や協力の輪が広がった。渡辺さんも「何十年もたって急に連絡しても、覚えていてくれた」と感謝するが、製油所で働いたみんなはまるで家族のようだった。渡辺さんと同じ管理課にかつて所属していた大塚敏子さん(68)も「素晴らしい企画。協力したい」と実行委員会メンバーに名を連ねた。

   大塚さんは苫小牧市出身で、高校卒業後の73年4月に入社。入社式は母親を連れて行き、自身の晴れ姿に「とても喜んでくれた」。当時は毎週土曜の午後、製油所で生け花や茶道の稽古が行われ、大塚さんも教養を身に付けた。高丘寮では平日夜に書道教室も開かれ「字がうまくなりたい」と足しげく通った。休日は旅行好きの同期と国内外を巡るなど、出光では充実した日々を過ごした。自身も周りも結婚を機に退職し、疎遠になりがちな仲間もいたが、集いは縁を再び紡ぐ最高の機会になった。

   集いには想定の3倍以上が参加。渡辺さんは「それだけ1期生としての強い思い入れがあった」と話す。大塚さんも「高校の同窓会みたいな盛り上がりだった。みんなあの頃と何も変わっていなかった」と笑みをこぼす。製油所の見学会も開き、わが子の成長を喜ぶようなひとときとなった。

   2人は製油所の今後にエールを送る。渡辺さんは出光佐三氏の金言「順境にいて悲観し、逆境において楽観せよ」を挙げ「脱炭素の難しい時代だが、それを乗り越えられるのが道製油所」と期待。大塚さんは「どんな時代になっても、地域や日本で必要とされる製油所であり続けて」と願う。

  (終わり)

 (この企画は報道部・北畠授が担当しました)

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