第3部 1 タンク火災で消火活動に当たった吉田直志さん 炎に立ち向かった44時間 ごう音立て夜空赤く染める

当時の新聞を見ながらタンク火災を振り返る吉田さん
当時の新聞を見ながらタンク火災を振り返る吉田さん
十勝沖地震の影響で発生したタンク火災=2003年9月
十勝沖地震の影響で発生したタンク火災=2003年9月

  2003年9月26日の早朝に発生した十勝沖地震。苫小牧市消防署沼ノ端出張所に勤務していた吉田直志さん(68)は非番だったが、市内で震度5弱の大きな揺れを記録したことを受け、災害対応のため出張所に急行した。

   車庫を見ると、石油コンビナートなどの大規模危険物災害に対応する大型化学消防車、大型高所放水車、泡原液搬送車からなる通称3点セットが不在。「おかしいな」と思いながら空を見上げると、すでに真っ黒な煙がもくもくと立ち上っていた。

   1度目の原油タンク火災。吉田さんは、3点セットで現場に向かった第1陣と交代する形で、発生から約4時間後に現場に到着。「『正直、使うことはないんだろう』と心の中で思っていた」という3点セット。吉田さんは大型高所放水車を訓練通りに操作し、消火に貢献した。

   同28日午前のナフサタンク火災の発生時も休みだった。苫小牧バレーボール協会の役員として、市内中学校体育館で開かれた大会に顔を出していた。会場を出るとまたしても上空が黒い煙に覆われていた。

   現場到着は火災発生から約2時間後。3点セットは東胆振地域に計7セットあるが、一部所有車両が地震で被災して欠ける中、吉田さんは3点セットの各車を代わる代わる操作。懸命に消火作業を続けたが、火は弱まるどころか勢いを増した。

   特に夜は炎がくっきりと見え、不安をあおった。ナフサは揮発性が高い。発生した可燃性ガスが大気中に充満し、着火することで起きる「ファイアーボール」現象も起きた。「ブァー、ブァー」とごう音を立てながら夜空を赤々と照らす光景を、鮮明に覚えている。

   身の危険を最も感じたのは活動終盤。タンク周辺を囲む高さ1・5メートルほどのコンクリート製防油堤内は、長時間にわたるタンクの冷却放水で、油の混じった水で満たされていった。たった1枚の壁を隔てて消火活動に当たる中、次第にタンクの座屈も始まり「崩れたら水が一気にあふれる。そうなれば消防車両もすべて捨てて逃げるしかない」。最悪の事態を想定した。

   さらに火災タンクから約200メートル離れた草地に火が付くほどの猛烈な放射熱。隊員や消火車両などを容赦なく襲い、けが人を出さなかったのは「不幸中の幸い」。44時間にも及ぶ消火活動を終えたとき、防油堤内は満水まで残り30センチに迫っていた。

   吉田さんは定年退職後の再雇用で、新人隊員の研修指導員に抜てきされ、6年間にわたってタンク火災の教訓を伝えてきた。当時の活動写真を紹介し、「全国で初めて起きた事故でわれわれにとっては最高の教材」。もちろん二度と起こらないことを願いながら。

    ◇

   操業開始から50周年を迎えた出光興産北海道製油所(苫小牧市真砂町)は地域と共に栄えてきた。2003年のタンク火災では関係機関や市民らの協力や支援、理解を得ながら試練を乗り越えた。地域経済の発展はもちろん、芸術や文化の発展に大きく貢献し、あまたのOBやOGも安全、安心のバトンをつないでいる。さまざまな縁で製油所と関わった市民が半世紀の節目に思いをはせている。

過去30日間の紙面が閲覧可能です。