苫小牧市でも記録的な暑さとなった今年8月下旬。市内川沿町の泉野小学校グラウンドに子どもや大人たちが運動競技に挑み、たくさんの歓声が響いた。会長を務める川沿町町内会恒例の運動会の光景だが、開催は4年ぶり。顔を合わせて多世代が親睦を深める大切さを十分に味わい、町内会の存在意義をかみ締めた。
三石町(現新ひだか町)の中学校を卒業して15歳で家を出て1968年に苫小牧の塗装会社に就職した。「見て学ぶ」の厳しい職人の洗礼を受けながらもしがみついた。「頑張れば、きちんと見てくれている人がいて助けてもらった」。当時は高度経済成長の時代で働けば、給与に跳ね返り、やりがいも大きかった。道内の仕事が減る冬期間は仲間と一緒に本州まで出稼ぎもした。70年に大阪府であった日本万国博覧会(大阪万博)会場のパビリオンの塗装も経験し「岡本太郎の太陽の塔を見ながら仕事した」と懐かしむ。
20歳で結婚。地域活動に携わるきっかけは子どもたちだった。小学校に入った娘や息子に「遊ぼう」とせがまれながら、地域対抗のソフトボール大会に挑む子どもたちを指導するようになった。「冬は出稼ぎで数カ月、家を空けることもあって、夏は子どもとの時間を大事にした」。身近な人たちにわが子が見守られている実感があり、地域活動にもできる限り協力した。仲良くなった親たちと一緒に大人のソフトボールチームを立ち上げ、指導の過程で審判資格も取得し、今も胆振ソフトボール協会会長を務める。さらに「カーリング」に似たルールの十勝管内新得町発祥の「フロアカーリング」の普及にも力を入れた。室内で多世代が遊べる軽スポーツとして2015年、苫小牧フロアカーリング協会設立にも奔走。初代会長として今も支える立場で、町内から全国大会で好成績を収める競技者を輩出し、自身も何度も全国出場を果たした。
仕事を一区切りにした65歳で町内会長を引き受け、今年で6年目。「仕事で人を雇っていたが、ボランティアで携わってもらう町内会組織の運営は、また別の苦労がある」と強調。率先して動き、人の話を聞く姿勢を大事にしながら、自分なりに町内会長の役割を模索してきた。20年にコロナ禍が直撃。当初、感染症対策として人が集まることが難しくなり、町内会行事も次々と中止を余儀なくされた。再開のタイミングの判断も悩ましく、住民のさまざまな心情に配慮しながら、何かあれば責任を取る覚悟で今年から活動を本格化させた。運動会や夏祭りを終え、10月末に防災訓練も行う。「苦労もあるが、支えてくれる人は必ずいる。コロナ禍の経験を変わるチャンスにし、町内会活動の新たな形をつくりたい」と意欲を見せる。
(河村俊之)
◇◆ プロフィル ◇◆
押本武(おしもと・たけし)1952年7月、門別町(現日高町)生まれ。苫小牧市のスポーツ推進委員をまだ「体育指導委員」の呼称だった40代の頃に引き受け、今も市民のスポーツ活動を支えるため、汗を流している。2019年に市から自治貢献者の表彰も受けた。苫小牧市川沿町在住。