<36> 昭和55年 東港第1船入港も企業立地進まず 30年ぶりスケート国体は氷都の面目躍如 人の流れが変わった駅前商店街 鶴丸、トピアに期待したが

  • 特集, 郷土の戦後昭和史
  • 2023年10月9日
15万人目の市民誕生を祝う大泉源郎市長(4月14日)
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苫小牧市内小中学校の給食費月額推移(単位:円)
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苫小牧港・東港に第1船として「君島丸(695トン)」が入港(昭和55年10月24日)
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斉藤留蔵さん
斉藤留蔵さん
第8回全道スプリント選手権大会女子で初優勝し、同スプリント史上初の中学生チャンピオンとなった橋本聖子=早来中=(昭和55年3月2日)
第8回全道スプリント選手権大会女子で初優勝し、同スプリント史上初の中学生チャンピオンとなった橋本聖子=早来中=(昭和55年3月2日)

 昭和55年、1980年代が幕を開けた。2年ほど前からいわれ始めていた「地方の時代」という言葉が前年の統一地方選挙の中で取り沙汰され、一般化したのはこの頃である。高度経済成長を持続させようと国策・公共投資による重厚長大政策が環境破壊や資源の浪費など諸問題を引き起こし、経済は成長するが生活は豊かにならないというちぐはぐさが増大していく。「地方の時代」とは、この国による成長政策に対する地方からのあらがいであった。ただ、国策によって大規模な財源が投下された地域は、この新たな潮流を意識しつつ、なおも国策への希望から離れられない。郷土史という観点から捉えるなら、国策のトップランナーである苫東開発を抱える苫小牧はこの時代、まさにその対立する二つの潮流が並走する混乱の中にある。

 ■苫東港に第1船入港

 この年の10月24日午前10時、苫小牧港・東港に石炭専用船「君島丸」(695トン、太平洋石炭販売輸送所属)が入港した。51年8月に現地着工されてからわずか4年後の供用開始であった。国策らしい異例の早業である。大泉源郎市長は「これで(苫東工業基地の)1万ヘクタールの用地に港を使う企業が来ても大丈夫だ」とつぶやいたが、果たしてどうか。苫東で立地しているのは北電苫東厚真発電所1号機と北海道石油共同備蓄基地だけ。さらに北電2号機と石油国家備蓄基地計画が地元に提示され、本来、工業基地であるはずの苫東は、エネルギー基地的要素を強めていった。いすゞの進出計画発表が一筋の光となったものの、その他の企業立地は見通しが立たず、計画見直しの声が高まっていく。

 苫東企業立地審議会でもこれが取り上げられ、「初めの計画と違ったものになったのでは道や苫小牧市の見識がなさすぎる。苫東が空いているからといって何から何まで持ってこられると大変だ。市は道に対して苫東の見直しを提案する必要がある」と計画見直しを強調する意見が出された。

 しかし、大泉源郎市長はこの声を「聞き置く程度」とし、見直しする意思がないことを強調した。閣議決定されている苫東の基本計画はそのまま存続させ、その時代に応じた形で変化させていこうというのである。

 ■人口15万人の中核都市

 苫東開発の方向が揺れ動く中、苫小牧市の人口はこの年、15万人に達した。経済変動で人口増加の歩幅は狭くなったものの「次の目標、人口20万人都市を目指そう」と気がはやる。

 しかし実は、当初計画では昭和55年には20万人都市を実現していなければならなかった。オイルショックを経て立てられた計画ではその達成は昭和62年とされた。そして「昨今の状況を考えるとそれはまあ無理だが、69年には20万人を達成できる」というのがこの頃の大方の意識であった。

 ただ、進められてきたインフラ整備も施設建設も、多くは30万人都市を想定してのものなのである。大きな箱の中で、その半分ほどの小さな品物がカラカラと音を立てて転がっている場面をイメージすると、この頃の人々のいら立ちというものが想像できるかもしれない。見直しは「30万人」をあきらめることにつながり、渋る理由がこのあたりにある。

 数年来大きな課題となっている既存商店街再開発の問題はどうか。錦町地区市街地再開発事業と駅前通りのショッピングモール化、この二つが当面抱えていた事業だ。再開発は2年前の昭和53年に期成会が発足、モール化は54年に近代化協議会を結成していた。

 再開発事業は第1弾のホテルビル(ホテルサンルート)が完成し、第2弾の再開発ビル建設に当たる管理会社がやっと産声を上げたばかりだ。モール化の方は、54年度中に策定される予定だった基本計画案が、55年度にずれ込み、それだけで終わった。

 怠惰だった訳ではない。消費者の中心商業地離れ、大型店と最寄り商店街への依存が予想以上に強かった。さらに、苫小牧駅舎の改築計画に商業ビルがくっついてきた。その対応をどうするか。加えて6月22日に衆参ダブル選挙があったことで世間が騒がしく、新しい動きが停滞してしまったのだった。

 ■30年ぶりの国体

 この年、市民が一致して取り組んだのは、昭和25年以来30年ぶりのスケート国体であった。第35回国体冬季スケート大会が1月26日から4日間、ハイランドスケートリンクをメイン会場として開催された。

 30年ぶりの苫小牧開催が決定したのは前々年のこと。準備に余念はなく、1月には国体のためにと建設した錦岡スポーツセンターがオープンした。国体のために室内リンクを建設したという熱の入れ方が、全国から集まった人々を驚かせた。全国43都道府県から2000人を超える選手を迎えての4日間。観客動員数は20万人に上り、他の地方では観客数が少ないのが普通のスピードスケートも苫小牧大会の場合は9万人を超えて、本州からやって来た選手や役員を驚かせた。

 ただ、競技では北海道勢は押され気味。そんな中で活躍したのは、少年男女の高校生勢だった。スピードスケート少年女子1000メートルでは新田(池田)、石井、日向寺(以上駒大苫小牧高)が1~3位を独占。アイスホッケーでは単独出場の駒大苫小牧高が圧倒的強さを見せつけた。そして、3月の全道スプリント選手権大会女子では、まだ中学3年生だった橋本聖子(早来中)が史上最年少で優勝を飾り、12月には翌年の世界選手権出場を決定付ける。駒大苫小牧高校1年生、16歳。史上最年少の世界選手権代表である。

 若人たちの活躍が、混沌(こんとん)とした時代に光を与えた。

 一耕社代表・新沼友啓

 《第22回日本レコード大賞、日本作曲家協会主催、12月31日発表》【大賞】雨の慕情(八代亜紀)【最優秀歌唱賞】大阪しぐれ(都はるみ)【最優秀新人賞】ハッとして!Good(田原俊彦)【金賞】恋人よ(五輪真弓)、酒場でDABADA(沢田研二)、ダンシング・オールナイト(もんた&ブラザーズ)他

 1月26日 第35回国体冬季スケート競技会開幕。30年ぶりの苫小牧大会。

 4月14日 苫小牧市の人口15万人に

 22日 ネーピア市と苫小牧市の国際姉妹都市締結(ネーピア市役所で)

 9月20日 いすゞ自動車が苫東での操業開始計画を発表

 10月1日 国鉄千歳線、室蘭本線の電化が開業

 24日 苫小牧港・東港に第1船「君島丸」入港

 29日 道央自動車道苫小牧西IC~苫小牧東IC間開通

 29日 王子製紙苫小牧工場N5マシン竣工(しゅんこう)式。新聞用紙生産工場としては世界最大

 31日 苫東立地第1号の北電苫東厚真火力発電所1号機が運転開始

 11月3日 苫小牧郵便局新局舎(若草町)開局

 12月4日 苫小牧市教委の部長人事を巡り教育委員3人が辞表提出

 苫小牧駅前通にあった「福々食堂」の経営者・斉藤留蔵さん(当時63歳)は昭和55年前後の商店街について次のように回想している。

 「僕が福々食堂のやりくりを完全に任せてもらったのは、昭和54年。おやじが、新中野に家族ぶろ福乃湯を開業してからです。

 家族ぶろは、はやりました。2階をアパートにして、20軒が入居。営業を始めたのは、ちょうど石油ショックの年でした。工事をしている間に建築資材がどんどん値上りしてきて大変でしたが、湯つぼや湯上りの場所を広く取り、中央に幅3メートルの広い廊下をつくったので、開業当時は好評だったのです。当時は、真面目に商売をしていれば誰でも店を繁盛させられる時代だったのかもしれません。

 駅周辺が区画整理され、ダイエーや駅裏に大型店がつくられてから、すっかり人の流れが変わってしまった。人の流れが変われば、私たちの商売はあがったり。うちのような店は、単独ではなかなかお客を呼べません。(略)ですから、一条通りや鶴丸デパート、トピアなどがにぎわってくれればと思っているのです」

 (平成10年7月、苫小牧民報紙上「福々食堂繁盛記」での回想、部分概要)

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