石油製品の安全、安定供給を最重要課題とする北海道製油所だが、大惨事となりかねない火災事故を繰り返した。2000年2月に重油直接脱硫装置から出火し、危険物を取り扱う施設が集積する苫小牧港・西港臨海部の石油コンビナートでは初の大規模火災に発展。パイプ内面の腐食が原因で、部品の取り替えなど再発防止を施したが、02年4月にも同装置は炎上した。
さらに03年9月26日には最大震度6弱(苫小牧は震度5弱)を記録した十勝沖地震が発生し、タンク火災を起こした。地震波と容器内の液体が共振し、液面が大きく揺れる「スロッシング現象」で浮き屋根が損傷。タンク内の原油やナフサが大気に触れ、2度にわたる火災につながった。苫小牧港は船舶の航行を止め、市街地に黒いすすが降り注ぎ、市民に多大な影響と不安を与えた。
製油所にとってもかつてない試練を教訓に、再発防止にとどまらず保安力を高めた。タンクの耐震化や構造の強化を進めた他、高さ150メートルの集合煙突上部に広域監視カメラ2台を設置し、構内の異常を早期発見できるようにした。自衛防災体制も災害対策本部を筆頭に、昼夜それぞれ15人が火災対応する防災班下の消防隊、各種応援隊など25組織に細分化。製油所所員と子会社の出光プランテック北海道社員の全約350人が参加する年5回ほどの総合防災訓練を柱に、組織ごとの訓練も随時行って安全意識の醸成を図ってきた。
これら成果を遺憾なく発揮したのが18年9月の胆振東部地震。苫小牧市は十勝沖地震よりも大きい震度5強に見舞われ、製油所も大規模停電で一時的に機能をほぼ喪失したが、山岸孝司所長は「火災はもちろん油分漏れもなく、収めることができた」と振り返る。タンクの損傷もほぼなく、石油製品の需要が高まる冬までに復旧。所員らは日々の訓練に基づき的確に行動し、「獅子奮迅の活躍があった」という。
21年には「防災技術訓練所」を開設。ポンプや配管の油漏れによる火災を小型模型で再現し、単なる消火作業だけではなく、バルブを閉めるまで漏れ続ける油への対応なども実践できるように。出光プランテックの樋口哲也警防課長は「放っておくと火の手がどんどん広がる。風向きや出火原因など、さまざまなシチュエーションでの経験が積める」と力を込める。
ハード、ソフト両面で充実する一方、タンク火災の経験者は年々減り、山岸所長は「当時を知る人は1割にも満たない。啓蒙(けいもう)し続けなければ」と強調する。本館1階ロビーの見学ギャラリー一角にタンク火災コーナーを新設。火災時のテレビニュース放映や燃えたタンクの銘板を展示し、安心、安全操業への意識伝承を欠かさず、「法整備や設備充実など図ってきたが、それを理解し使いこなすのは人。当時の地獄を知らない、防災意識や技術が緩んだ集団ほど怖いものはない」。きのうで03年十勝沖地震から20年の節目を迎え、改めて気を引き締め続ける。