5年前の胆振東部地震が起きた日。
苫小牧市の交通の大動脈「国道36号」は、停電で信号機が止まって行き交う車の列が途切れなく続きました。あの日に限っては、横断歩道を歩行者が渡るのは大変困難でした。
私の住む有明町は国道の海側にあり、避難所や食品店は山側にあります。横断歩道を渡ろうとして途中で諦める方を何人も目にしました。大地震が起きて停電すると、こんなことで近くの避難所へ行けない人々がたくさんいるのではと思います。
道内のブラックアウト(大規模停電)を予見し、紙で作った模型や人形で、北海道の電力の約半分をつくる苫東厚真火力発電所が津波で被害を受ける様子を表現し、警鐘を鳴らした作家が苫小牧市にいます。
2015年3月に札幌市でその方の展示会があり、会場でこの作品についてお話を伺うと「いつでも十分起こり得ること」と話されていました。
松前藩の文書に「東部海嘯(かいしょう)、民夷多く死す」と残された大地震と津波が、1611年に北海道で起きていて、内陸の安平町早来には、そこまで津波が来たという”印の石”が残っているとも教えてもらいました。
安平町役場に確認すると「その石の存在は把握していないが、津波が川を遡上(そじょう)し、そのようなものがあるかもしれない」とのことでした。
その作家の作品は、いぶり勧学館でも一部をお預かりしています。地球環境問題などをシロクマやペンギン、カッパや人魚を表現した、子どもも楽しめる作品で、大切なことを伝えてくれています。
(いぶり勧学館館長・苫小牧)