<34>昭和53年 石油備蓄基地計画で明け暮れ 新団地造り、噴火、汚職事件も

  • 特集, 郷土の戦後昭和史
  • 2023年9月11日
ネーピア港との姉妹港提携調印式(2月15日)
ネーピア港との姉妹港提携調印式(2月15日)
イトーヨーカドーのオープン(6月6日)
イトーヨーカドーのオープン(6月6日)
贈収賄で苫小牧市役所を家宅捜索(5月15日)
贈収賄で苫小牧市役所を家宅捜索(5月15日)
下田正一測候所長
下田正一測候所長
昭和53年5月の樽前山火山性地震日別回数(苫小牧郷土文化研究会「樽前山」より)
昭和53年5月の樽前山火山性地震日別回数(苫小牧郷土文化研究会「樽前山」より)

  

 苫小牧港とニュージーランド・ネーピア港の姉妹港締結(2月)へと、晴れがましさの中で迎えた昭和53年。しかし、苫小牧市はこの年、前年突然飛び出した石油備蓄基地建設計画で振り回された。苫東はといえば、企業立地が進まないのに開発予算はどんどん増額され、それに吸い寄せられて人が増える。それを受け入れるまちづくりの予算が足りない。街ではイトーヨーカドーが開店し、長崎屋、ダイエーと合わせて大型店3店がそろい踏み。対抗して、既存商店街では錦町再開発が計画された。騒然とした歩みの中で、市役所では大規模な汚職事件(年表参照)が発覚し、自然界では樽前山が数十年ぶりに噴火して人々を覚醒させた。

  

 ■石油備蓄基地建設計画の進展

  

  石油備蓄基地構想は前年12月、通産省資源エネルギー庁が道に対して苫東基地への建設を要請して以来、一挙に具体化していった。

  

  苫東開発は低成長、減速経済の中で、石炭火発が着工しただけ。石油精製、石油化学、自動車といった目玉商品の立地は全く見通しが立っていなかったから、苫小牧市をはじめ苫東関係機関は石油備蓄基地計画を一様に歓迎した。石油公団が中心となり、出光興産など精製メーカー4社が共同備蓄に参加する方向が決まり、苫小牧東部共同石油備蓄委員会が設立された。しかし、具体的な計画の策定は、用地や苫小牧港・東港の受益者負担金の問題などが次々と表面化してなかなか進まない。

  

  10月11日、ようやく道に示された計画では、1基11万3000キロリットルの原油タンク45基、貯油能力は約500万キロリットル、総工費は1300億円。

  

  問題は防災・安全面、そして地元業者の参入も気になる。道は技術専門委員会議を発足させて防災安全面をチェック。道知事に対して20項目の要望意見を付し「要望意見が充足するなら可」と答申した。苫小牧市は苫東企業立地審議会に諮問し、同審議会は12月に入って42項目の条件付きで「可」の答申を大泉源郎市長に提出。市は条件を追加して61項目とし、立地を認めたいと市議会に提案した。条件はどんどん増え、市議会も4項目増やして65項目として可決した。

  

 ■増える開発予算、足りない地元財源

  

  減速経済、低成長の中で、苫東開発予算が削られたかといえばそうではない。苫小牧東港建設の53年度予算要求額は102億7000万円だったが、要求を大きく上回る125億円が付いた。国は「もっとやれ」というのである。さらに年度途中の補正予算で8億4000万円が追加される大盤振る舞いだ。

  

  国が「もっとやれ」という中には、石油備蓄基地関連の事業が含まれていた。苫小牧市議会は「石油備蓄基地建設計画は、市としてはまだOKしていないのだから」と備蓄基地抜きの予算陳情を行ったのだが、そんなものは焼け石に水だ。国の意思は決まっており、予算も付けられている。地元は、せいぜい空約束になるかもしれない「条件」をたっぷり付けるのが精一杯だ。この辺りに国家プロジェクト受け入れの危うさがあるのであり、そのことは前回も記した。

  

  さて、国策の予算はどんどん増えるが、足りないのは地元・苫小牧市のまちづくりの予算である。低成長にもかかわらず国は景気浮揚、将来的な期待で開発予算を付ける。将来人口は20万人か30万人か。地元はその人々が生活するための都市施設整備への先行投資をしなければならない。例えば「錦岡第二団地」造成計画(昭和50~57年度)だ。苫東で増える人口の生活の場として、それも公害の影響を考えて「職住分離」の住宅地として、錦岡の約9・8ヘクタールを造成し、8500人が暮らすニュータウンを造る。小中学校、保育所、医療施設を整え、公園、緑地も整備。造成原価は95億7500万円。

  

  苫東開発と関連して、新しいまちづくりのために巨額な先行投資を強いられるのは苫小牧市ばかりではない。苫小牧、鵡川、早来、厚真の1市3町が昭和51年から65年までに必要だと思われる都市建設事業費は実に2278億8000万円と算出されていた。各市町は国に地元財政負担軽減の特別財政措置を求めた。その運動が白熱し始めたのが昭和53年のことだ。

  

  もともと、各市町では国や道の財政的な援助を苫東受け入れの条件としていた。だが始まってみると「苫東にだけ財政援助することはできない」と国。条件などというのはその程度に扱われるものらしい。「それなら苫東にストップをかける」という強硬論まで飛び出したものの、結局は「補助」「起債」の拡充に落ち着かざるを得ない。

  

 ■大型店進出と商店街再開発

  

  街では6月6日、駅北側にイトーヨーカドー苫小牧店がオープンした。これで長崎屋、ダイエー、イトーヨーカドーの三つが、苫小牧駅を囲んで出そろった。

  

  売場面積は3店合計4万2750平方メートル。1500店に上るといわれる市内小売り商店の全売り場面積の約3分の1に相当する。3店が出そろった後の8月に行われた歩行者通行量調査の結果、中心商店街の通行量が前年のサンプラザ出店前の半分になっていた。商業者に対する大型店影響調査の結果でも売り上げが2~3割減ったという回答が多かった。既存商店街は、何か思い切った手を打たねばならなかった。

  

  イトーヨーカドーの開店から間もない6月22日、市議会で錦町地区市街地再開発の基本計画策定費850万円の予算が可決された。1日置いて24日、同地区の権利者約50人が集まって、錦町地区再開発期成会の設立総会を開いた。生き残りへの努力を重ねる商業者たちは、この時点では再開発ビル「トピア」の倒産騒動が起こるなど予想もできなかった。

  

一耕社代表・新沼友啓

  

 ■「熱風を伴い登山者に危険」下田測候所長が防災会議で説明

  

  5月14日深夜、樽前山が小規模な水蒸気爆発を起こした。苫小牧測候所の下田正一所長は「樽前山の火山エネルギーはあの程度の小噴火で消耗されることはなく、むしろ蓄積が進んでいると言わざるを得ない。規模からみて樽前山の本格的な爆発は有珠山の比ではないでしょう」と語り、同月22日の防災会議で次のように説明した。

  

  「今月(昭和53年5月)1日から20日までに134回の火山性地震が観測され、月末には200~300回になると見込まれ、明らかに異常。問題は、マグマの動きが活発化しているために起きているのかということだが、データーがなく、分からない。14日夜(最初)の水蒸気爆発は熱風現象を伴っていたと考えるべき。もし、火口原や火口近くに登山者がいた場合、大やけどを被っていたと推測される火山活動だ」

  

 (一部、概要)

  

  

 【昭和53年】

  

 《テレビ、芸能、スポーツ他》

  

 人気時代劇「暴れん坊将軍」放送開始(1月)/全国飴菓子工業協同組合がキャンディーを贈る日としてホワイトデーを制定(3月)/キャンディーズ解散(4月)/サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー(6月)/セ・リーグでヤクルトが初優勝。球団創立29年目(10月)

  

  

 2月15日  苫小牧港とネーピア港の姉妹港共同宣言調印式

 4月 1日  苫小牧市第2学校給食センター開設

 4月 7日  明倫中開校。糸井鉄北地区で初、市内11番目の中学校

 5月14日  樽前山小噴火。入山禁止

 5月15日  市営住宅建設を巡る贈収賄で苫小牧市職員1人と業者2人を逮捕(逮捕業者は計9業者10人に)。類例を見ない汚職事件

 6月 6日  イトーヨーカドー苫小牧店開店

 6月21日  国鉄千歳線・室蘭本線の電化工事起工式

 6月24日  錦町地区再開発期成会設立総会

 8月24日  駅前中央通振興組合発足

 9月 1日  苫小牧プリンスホテル(双葉町)オープン

 9月20日  南極観測船「ふじ」が苫小牧港に初入港、一般公開

 10月16日 苫小牧保健センター(11月1日オープン)に併設の夜間急病センターが診療開始

 10月24日 千歳から苫小牧東インターまでの高速道路開通

  

  

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