<4>昭和23年 市制施行で「輝く苫小牧」誕生祝う 子どもたちは学校給食に笑顔

  • 特集, 郷土の戦後昭和史
  • 2023年8月30日
苫小牧市役所前での市制施行祝賀式(昭和23年4月10日)
苫小牧市役所前での市制施行祝賀式(昭和23年4月10日)
市街地を練り歩く祝賀パレード(昭和23年4月10日)
市街地を練り歩く祝賀パレード(昭和23年4月10日)
戦後間もなく始まった苫小牧東小での給食風景
戦後間もなく始まった苫小牧東小での給食風景
初代苫小牧市長の田中正太郎氏
初代苫小牧市長の田中正太郎氏
人口、世帯数の推移
人口、世帯数の推移

  

  食糧難、住宅難、引き揚げ者の生活自立など多くの課題を抱えつつも、昭和23(1948)年は、苫小牧にとって大きな節目の年であった。この年4月1日、苫小牧は「町」から「市」ヘと変わり、人々は郷土の発展に希望を抱き、町を挙げてこれを祝った。10月にはもう一つ大きな喜びがあった。学校給食の始まりである。「町が市になる」というよりも、子どもたちにとってはこちらの方が希望に満ちていたかもしれない。

  

 ■市制施行で「希望と勇気」

  

  この年の4月1日、市制施行でそれまでの「苫小牧町」は「苫小牧市」になり、東小学校で盛大な市制施行式が挙行された。

  田中正太郎市長(以下各氏敬称略)は「乞い願わくば三万市民諸兄よ、本日のこの意義ある市制施行式にあたり(略)苫小牧市発展施策に特別のご援助とご教導たまわらん事を深く懇願致し」と、やや漢文めいた式辞の中に感激を込めた。

  10日には市役所前広場(現在の新川通国道南側)で祝賀式が行われ、会場は「祝」の文字の小旗を手にした人々で埋まった。続いて「輝く苫小牧市誕生」の横断幕を掲げたトラックを先頭に、市内をパレードし、それは「混乱、食糧不足、生活物資の極端な減少など、暗い生活ばかりだった当時の世相に明るい希望と勇気を与えるものであった」(苫小牧市史)。

  市制施行は、前年、初の公選町長になった田中の大仕事であった。町が市になれば「まち」として成熟したと認められることになり、いや、それには及ばなくても成熟したとイメージされる大きな要素となり、懸案となっている勇払原野開発や苫小牧港(当時は漁港)建設にも弾みがつくのではないかと、多くの人々が考えを巡らせていた。

  

 ■初の公選で労組などが推す

  

  田中は前年の昭和22年、苫小牧初の公選町長に当選していた。

  昭和22年正月のことであったか、それとも少し前の年の暮れのことであったか。苫小牧東小学校校長であった田中の下に、戦後相次いで結成されていた労働組合サイドから「町長選挙に立候補してほしい」との働き掛けがあった。

  旧来の制度では、市町村は中央集権国家の末端組織であった。例えば、町長を誰にするかは道の認可を受けなければならなかった。新憲法とそれに基づく地方自治法の下ではそうではない。住民自治が尊重され、苫小牧でも4月に初の町長公選が行われようとしていたのである。

  「町長選に」との話が持ち込まれた頃、田中は新教育の建て直し、中心校(東小)としての教育会の計画、教職員組合の育成に多忙を極めていた。「新行政の確立と労働者の地位の向上などと並べ立てられたが、寝耳に水でろくな返事もできず、柄でもないと固く断った」(「大悟小節に拘らず~田中正太郎伝記」)が、あれこれの混乱の中で同選挙には田中のほか、町議の相武吉次郎、菊地善吾の合わせて3人が立った。結果は田中が6割超の票を獲得して初代公選町長になった。「教え子とその父兄、労組の力」(同)だったという。この時田中は教職40年を経ていた。苫小牧町長の田中は、市制施行によって初代苫小牧市長になった。以来、苫小牧港に第1船を迎える昭和38年4月まで、4期15年(それ以前に町長1年)にわたり、無投票で市長を歴任することになる。

  

 ■うれしい学校給食開始

  

  この年の10月、東小学校で学校給食が実施された。前年、保護者会から衣替えしたPTAが学校給食委員会を設け、食材の購入、調理などに協力し、実施への準備を始めた。委員長の上田孫七は食材の確保に飛び回った。湯沸かし室や用務員室を調理室に改造し、母親たちが交代で調理に当たった。

  それまでは、イモやカボチャを弁当箱に詰めてくる子はまだ良い方で、それも持って来れず、昼食時には家に帰る子もいた。何とかしなければならなかった。

  始まった給食は副食だけで、米軍から供与された脱脂粉乳が、その独特のにおいが嫌われながらも多量に使われた。しかし、みそ汁やシチューも出て、子どもたちの笑顔が教室を埋めた。その笑顔のために、父母らも教師も町の人々も懸命だった。「完全な給食を」と昭和26年には専用の給食室を建設した。「子供たちが親の夢であり、とにかく教育に全力をという時代。PTAが本当に一生懸命になっていた。だから自分たちでつくり上げたという自負があった」(元苫東小教諭・岡島和夫談=概要=、昭和60年12月7日付、苫小牧民報)

  翌月には西小学校でも学校給食が始まった。

  

一耕社代表・新沼友啓

  

 (参考=苫小牧市史、苫小牧教育史、「大悟小節に拘らず~田中正太郎伝記」、苫小牧民報)

  

 ■努力して後は神に任せる

  

  以下は田中正太郎氏の町長選当選の心境。

  「勝った喜びよりもむしろ不安な気持ちが先に立つ。戦いの後のしこりが恐ろしく感じられた。役場内には、支持者もあろうがすべてではない。その中に何等一人も知らないものが乗り込んでいく。しかもお里の知れた者が、ズブの素人が首長の座について。

  人怖じする私、弁説の下手な私、仕事も知らない私、抱負もない私、情けなくなる。出なければよかったと後悔が起こってくる。しかし私の心の一面に『なるようにしかならないものだ。誠実に努力して後は神に委せる』という気持ちがあった。これまで幾度か難関にぶつかって、この心の働きでやり通してきた。柳の下にドジョウはいないだろう。問屋は安く卸すまいがやってみよう。ぶつかってみよう。

  『反対して』と詫(わ)びにくる者あり、きまり悪そうに横を向く人もある。しかし同じ町民だ。戦いは戦い、応援しようが反対しようが、公平に町を憂いて決めた心は同じだ。(以下略)」

  (田中正太郎先生伝記刊行会発行「大悟小節に拘らず~田中正太郎伝記」より)

  

 【昭和23年】

  

 苫小牧の戸口  6,602戸、33,131人。

 苫小牧東小学校 大場徳三郎校長・加藤虎雄校長(12月)/35学級2,214人

 苫小牧西小学校 萬谷直吉校長/26学級1,372人

  

  

 2月26日  苫小牧農業協同組合および苫小牧酪農業協同組合設立

 4月 1日  市制施行。苫小牧町が苫小牧市に

        新学制で旧来の中学などを改称。苫小牧高等学校、苫小牧女子高等学校、苫小牧工業高等学校に

 9月 3日  苫小牧商工会議所設立

 10月21日 苫小牧東小学校で学校給食開始

 11月10日 勇払原野開発期成同盟会結成

 11月15日 苫小牧西小学校で一部学校給食開始

 12月 1日 駅前マーケット開店

  

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