スケート名人が突如現れた。その数年ほど前から滑走する人たちの姿が苫小牧で散見されてはいたものの、ある男性のスケーティングはとりわけ先駆的だった。〈速さ、バックで滑る格好のよさ、また身も軽く、ジャンプあるいはグルグルと弧を描く華麗な滑走ぶり〉が見物人たちを驚かせ、楽しませた。「50年のあゆみ 苫小牧スケート協会」(1976年)にある西田信一さんに関する記述だ。
1923年新設の北海道庁立苫小牧工業学校(現在の苫小牧工業高校)に翌24年、教員として赴任した若き西田さん。学んだ札幌から持ち込んだ愛用のスケート靴を履き、沼に張った天然の氷の上を滑った。やがて苫小牧スケート協会が25年1月に発足。西田さんが指導した同校スケート部は26年1月の第3回全道中等学校氷上競技選手権大会に初出場した。スピード部門で優勝し、当地の全年代通じて最初のチームが編成されたアイスホッケー部は決勝に進んで札幌師範と大接戦の末、1―1で引き分けた。西田さんは後に苫小牧町長、参院議員を務め、2003年に100歳で逝去している。
現在までに卒業生は2万8000人にも上る苫小牧工業高校は今年で創立100年を迎えた。スケートが市内で最初に伝来した先駆けの学びやでもある。(谷)