昭和36(1960)年。とにかく景気がいい。港の建設が進む苫小牧は特にそうで、3月末に苫小牧税務署がまとめた昭和35年の申告所得総額は約15億5700万円、前年比約35%増で36年もそのくらいの伸びが見込まれた。税額は45%の伸びだ。工業開発事業とその影響による土地売買などが要因で、その土地は高騰し、ご多聞に漏れず悪徳業者が暗躍した。人口は急増し、前年から小中学校新設が続き、苫小牧女子高校(現苫小牧中央高校)や苫小牧高等理美容学校が開校した。身寄りのないお年寄りの老人ホームも開設された。天皇皇后両陛下がおいでになり、港や保育所をご覧になった。何だか慌ただしい年であった。
■住宅難で4割が借家・間借り
苫小牧の人口は昭和30年代中盤、毎年700から1000世帯、3000人から3500人ずつ増加した。炭鉱離職者、離農者、あるいは新たな商売や事業拡大の地盤を苫小牧に求めてやって来た人たちだった。港の供用開始を2年後に控え、苫小牧には強い吸引力があった。
田畑を手放してやって来た離農者らにとって手っ取り早いのはアパートの経営だった。この当時、100万円から150万円ほどで部屋数が幾つもある中古の家を買えた。それに少し手を入れて数室のアパートにする。人口はどんどん増えているから、借り手はいくらでもいる。月2万円~3万円の家賃収入は確実で、まあ、食べていける。
この当時の住環境というのは今のように素晴らしくはない。昭和35年10月の国勢調査時、苫小牧の1万3884世帯のうち、持ち家が4312世帯、借家が3815世帯、社宅・官舎が4372世帯、間借りが1385世帯だった。間借りというのは、一部屋だけ借りて台所やトイレは共同で使うというものだ。
住民一人当たりの占有畳数は持ち家でも4畳半、間借りならわずか3畳しかなかった。それでも、間貸し専門アパートは結構繁盛した。この住環境にテレビや冷蔵庫が入り始めた。一方で、収入のないお年寄りらは王子の土場で燃料にする樹皮を拾った。この時代の繁栄というのは、一体どのようなものだったのか。
■拡大する紅灯街、増える不動産業
「飲食店を始めたい」と、物件を探す人たちも多かった。ある不動産会社には「50万円ほどで小体な売り店がないか」というような問い合わせが一日に2、3件あった。「買う」といっても新一条通の土地が1坪5万円から10万円という高値だったから所有権の売買ではなく権利譲渡で、権利金を払い、家賃も払う。権利金の相場は10坪前後のバーなら30万円から40万円、それに家賃が月額1万円程度。5坪前後の、俗にいう「一杯飲屋」でも権利金は10万前後で、こちらの家賃は日払い(1日200円から250円)が多かったというから、幾つもの店が生まれたり消えたりしながら紅灯街を拡大していったのだろう。
昭和36年10月の商工会議所の調べでは、市内の商工業者は1720。うち小売りが1024で全体の約6割を占め、サービス業が317で2割弱、製造加工業が163で1割弱、ほか建設業105、金融不動産業65、運輸通信業39など。全体では前年比132増加し、サービス業が38、金融不動産業が14増えたのが目立った。地域別では錦町、大町、表町に事業者が集中し、新たに緑町での増加が目立った。
■理髪店も人口増加を見越して
興味深いのは、理髪店が目立って増えたことだった。この頃、苫小牧(理容組合苫小牧支部管内)には60軒ほどの理髪店があったが、そのうちざっと数えて10軒は苫小牧市街地で前年、開店したものだった。特に、伸張著しい緑町だけで5軒も店開きした。
ほか、既存店の支店や、炭鉱の閉山で人口減少する夕張、あるいは岩見沢辺りからの流入店が目立った。「今はやや過剰かもしれないが、すぐに人口は増えるからそれに向けて固定客をつかんでおきたい…」「今は小さな店を出しておいて、固定客がつけば拡大したい」
料金はこの年春にそれまでの150円から180~200円に改訂したが、店舗の過剰で値崩れが心配された。
一方、全道的に理髪師が足りないという状況を受けてこの年4月、苫小牧高等理美容学校が開校した。15歳から25、26歳までの男女約120人が学び、卒業生は引っ張りだこで、求人が5倍に上った。
■地価上昇と悪徳業者の暗躍
工業用地、住宅地の開発が進み、自宅を建てる土地が欲しい、店を開く土地を買いたいという以外に、「今買っておけば将来高く売れるだろう」と投機的に土地を買おうとする人々が、一般市民の中にも数多くいた。法務局苫小牧出張所の不動産登記件数は昭和35年に約7000件を記録し、過去最高となった。地価はうなぎ上り。緑町、中野地区では農地の細切れ転用が進み、土地の値段は10倍にもなった。
その中で土地、家屋を巡るトラブルが相次いだ。「買った土地が実は売買できない開拓地だった」「悪質地面師に他人の土地をあっせんされ、手付金をだまし取られた」「土地を買ったあと病気療養しているうちに他の人が家を建ててしまっていた」「土地の賃借料が一方的に前年の2倍以上に値上げされた」など、市の相談窓口にやってくる人の3割が不動産関連の相談だった。
トラブルが起こったのは民間だけではない。第三セクターの苫小牧港開発と苫小牧市が明野地区の国有地の払い下げを巡って争いになり、その解決に多大な時間を要しているうちに、地価がどんどん上がってしまった。苫小牧市と開発局が建設資材である海岸の砂利の採取を巡って争った。
それやこれやを横目で見ながら、ブルドーザーはうなりを上げて土をかき寄せ、ダンプカーは土ぼこりをあげて埋め立て地へ走った。
一耕社代表・新沼友啓
■天皇皇后両陛下ご来苫
第12回全国植樹祭にご臨席のため来道中の天皇皇后両陛下が5月27日、苫小牧にお立ち寄りになった。建設中の苫小牧港、ひまわり保育所などをご覧になり、苫小牧市役所で市民の歓迎を受けた。
ひまわり保育所では、寺林トシ所長の案内で所内を15分間にわたってご覧になった。皇后さまは、市内大町・山口繁次郎さんの長男、弘ちゃん(5歳)、市内旭町・鎌田ミネ子さんの長女の道子ちゃん(同)の頭をなでながら「一生懸命やるのよ」と声を掛けられた。市民ら2500人が両陛下をお迎えしたが、陛下は特に保育事業の代表に対し「みなさんの仕事は、社会事業として重要ですから今後とも頑張ってください」とお言葉を掛けられた。
この後、建設中の苫小牧港をご視察になり、田中正太郎市長らが港の概要を説明した。
【昭和36年】
苫小牧の世帯(戸数)・人口 15,357世帯、70,656人
《市立養老院「静和荘」》
山手町(現松風町)、面積607.2平方メートル、定員40人。娯楽室、安楽室。備品はテレビ、ラジオ、囲碁、将棋など。生活扶助を受けているお年寄りなどで入居倍率は2倍となった。
4月 1日 和光中学校開校
4月10日 苫小牧高等理美容学校開校
4月16日 明野地区の埋立事業開始
5月27日 天皇・皇后両陛下ご来苫
5月27日 王子スケートリンク埋立て
6月 苫小牧ガス株式会社創立
8月 8日 高丘霊園(市内初の公園式共同墓地)の100区画を初めて分譲
10月1日 樽前山熔岩円頂丘が苫小牧市文化財(天然記念物)に
10月4日 勇払恵比寿神社奉納品が苫小牧市文化財に
10月11日 北海道の米産854,500トンで初めて全国一となる
11月1日 市立養護老人ホーム「静和荘」開設
11月19日 苫小牧市白鳥保護委員会結成