看護師をしていると高齢の方と関わる機会が多い。なので、数年前までは、戦争体験をした患者さんからいろいろな話を聞いた。しかし、時代の流れとともに、近ごろは戦争を体験した人、中でも出征した人の話を聞くことはほとんど無い。
実際の体験者のお話は、教科書で習うものとは比べものにならないほどリアリティーがあった。当然だ。目の前にいるその人が数十年前に実際に体験した話を、その人の言葉で聞いているのだから。これを聞けたことは、私には貴重な経験となった。今後、実際に戦争を体験した方から話を聞くことができない若い世代に聞かれた時には「私はこういう話を聞いたよ」と語り継げるとよいと思う。
この「本人の話」というのは、戦争だけではなく、さまざまな分野で貴重な声となる。私は先日、認知症当事者として講演などをされている方がモデルになった映画を見た。戦争体験の話は体験した人にしかできないように、認知症の症状がある方が見える世界や困り事の話も当事者にしかできない。「戦争は繰り返してはならない」と言葉で習うより、体験者の話を聞くと必然的にそう考えるようになる。同じように「認知症に優しいまちにしよう」と言葉で習うより、実際に当事者の忘れてしまうことへの不安や、自分がまだできることも奪われる悲しさなどの話を聞くと、認知症に優しいまちづくりが必要だと思わずにはいられなくなる。
しかし、当事者たちの声には耳を貸してもらえないことが多い。あるいは、声を出してもかき消されたり、認知症だからと無かったことにされたりする。当事者の小さいけれど大切な声を聞ける耳を持ちたいと思う。
(コミュニティナース・苫小牧)