盆の帰省は、きょうが往路のピークとか。テレビでは空港や高速道路の混雑を伝え、台風への警戒と、続く暑過ぎる夏への注意を今朝もセットで呼び掛けている。わが家も昔、夏と冬には200キロ強の道を家人の実家まで車で帰省していたものだ。まだ小さかった子どものことや若かった自分のことをふと思い出す。
盆には、13日の晩に迎え火をたいて先祖の霊を迎え、16日に送り火で送る―と手元の電子辞典にある。初盆、新盆という、もの悲しい言葉をかみしめながら、仏壇に並ぶ先祖の乗る割り箸の脚の付いたキュウリやナスの乗り物を見た。海沿いの漁村ではヤマブドウの葉に盛り付けた赤飯と大鍋のお煮染めが、期間中のごちそうだった。今も同じだろうか。習慣は少しずつ少しずつしか変わらない。
知人は朝のお参りの時の進行を少し変えてみたそうだ。父や母の名前を声に出して呼び、手を合わせるそうだ。自分も偶然、この一年ほどそうしている。心の中ででも名前を呼ぶと顔が浮かぶ。声を思い出しながら、あれこれ話し掛ける。親兄弟や親類だけでなく、急死した、助言や指導をいただいた知人や友人の名を呼ぶ日もある。許さない。そう思っていた故人を認めるように、自分の心の角が取れて変わっていくのが分かる。(水)