何かを言いたげにこちらに訴える猫、うれしそうにほほ笑む猫―。「目は口ほどに物を言う」を体現するかのように、猫たちの豊かな表情が目を引くNYANXI(ニャンクシィ)こと白山さんの絵。苫小牧市錦西町の北洋大学の食堂には、これまでに仕上げた引っかき絵(黒い紙を削ると下地の色が現れるスクラッチペーパーを用いた表現技法)や彩色画がずらりと並ぶ。
岩戸景気と呼ばれる好景気が始まった1958年に市錦町で生まれた。昔から絵を描くのが好きで、小学校入学以降はコンテストで入賞すると、うれしくなってより一層絵に夢中になった。
「将来は画家になりたい」と思いながら青年期を育ち、76年に東京の玉川大学文学部芸術科デザイン専攻に入学、79年に同大金属工芸科に編入した。
広告業であれば絵やデザインに携わりながら稼ぐことができる―と、第2次石油危機後の景気停滞から脱し、景気回復の一歩を踏み始めた82年、東京のデザインプロダクションに入社。グラフィックデザイナーとして活動を始め、38歳までキャリアアップしながら都内の広告制作会社や広告代理店などで経験を積んだ。
職種はアートディレクターやプロデューサーなど多岐にわたり、それぞれの会社ではデザインのほか予算調整や折衝の方法、プレゼンテーションの見せ方などさまざまなことを学んだ。バブル崩壊で会社の倒産にも遭ったが、最終的には企画から立案、デザイン制作まで全てを一人で担うまでになり、38歳で独立。充実した生活を送っていた。
「東京で骨を埋めようと、マンションでも買おうかな」と考えていた矢先、苫小牧で飲食店を経営していた両親から「帰ってきてくれ」と連絡。店を仕切っていた父親の体調が悪くなったためだ。そこから徐々に事業を縮小させ、2000年に苫小牧に戻ってきた。「帰ってくるのが一番辛かった」と当時を振り返る。
広告業界で活躍できていたのに、もう一度最初から社会人をしなければらない。「気の合うスタッフもいて20年ほどもキャリアがある中、手放さなくてはいけなかった」と打ち明ける。
「苫小牧では広告業は成り立たない。必要とされていない」と感じていたことから広告業は断念。両親の店を手伝う中で「アルバイトしないか」と声を掛けてきたのが工場で保守整備を行う人。これまでとは全く異なる畑違いの建設工事だったが、赴くにつれて「下請け業者として独立しないか」と言われるまでになり、建設工事会社白山産業を設立。ただ、自分の専門ではないことに加え「自分の商品を作ることができるわけではない。10年続けたら辞める」と決断し幕を閉じた。
引っかき絵のきっかけは、2019年に知人の娘からスクラッチペーパーをもらったことから。今は表現者として創作活動を続けており、きょうも新しいキャンバスに喜怒哀楽の猫を描く。
(樋口葵)
◇◆ プロフィル ◇◆
白山通平(しらやま・みちひら) 1958(昭和33)年10月、苫小牧市錦町生まれ。2022年には市美術博物館で初個展を開催。市内の幼稚園などで子ども向けに引っかき絵の体験教室も行っている。「ニャンクシィ」という名前はネズミの絵を描く素性不明の芸術家であるバンクシーを意識した名前。実は犬派。苫小牧市青葉町在住。