幕末期に白老で命を落とした仙台藩士やその家族を祭る藩士墓地(白老町緑町)で10日、地域住民らによる供養祭が行われた。1913(大正2)年から続けられ、110回目。史跡白老仙台藩陣屋跡敷地内にある塩竈(しおがま)神社の例大祭も4年ぶりに執り行われ、関係者ら約40人が志半ばにして北方で散った人々に、鎮魂の祈りをささげた。
仙台藩はロシアの南下政策を恐れた幕府から東蝦夷地の警備を命じられ、警備拠点となる陣屋を1856(安政2)年に白老に築いた。しかし、藩士の生活は寒さや栄養不足で過酷を極め、23人の死亡が68(明治元)年までに判明している。その後、明治末期の入植者が元陣屋跡の草むらで墓石を発見。ほかの場所にあったものと合わせて11基を1カ所にまとめ、供養を始めた。
供養祭は、100回目まで仙台陣屋史跡保存会が管理。同会解散後は、地域住民有志らでつくる塩竈神社祭典実行委員会(堀部登志雄委員長)が継承している。
この日は、眞證寺(町本町)の若林尚道副住職が読経し、町教育委員会の関係者や仙台藩白老元陣屋資料館でボランティアガイドを務める同館友の会の会員らが、それぞれの墓前に花とろうそくを手向け、焼香した。
堀部委員長は「古里に帰る望みがかなわず、この地で亡くなった先人の思いを引き継ぎ、供養祭を今後も続けていきたい」と話していた。
供養祭後は塩竃神社の鳥居前で、白老八幡神社(町本町)の鈴木琢磨宮司が祝詞を奏上し、関係者が玉串をささげた。この後、参列者にはお神酒や菓子が振る舞われた。