発足当初は岩倉や王子製紙OBに指導を請い、生徒たちの練習環境確保に努めたという。苫小牧東や苫小牧工業が常に立ちはだかり、「勝てずに厳しかったですよ」―。駒大苫小牧高校の校長室を訪ね、松原正三さんにインタビューしたのは2001年冬。高校アイスホッケーの名伯楽から、退職の約1カ月ほど前に、思い出や興味深い話を多々うかがった。
松原さんは15年2月に79歳で逝去した。三笠市出身で競技経験はなかったものの、学校創立と同時の1964年にできた部の顧問教諭となって尽力し、67年に冬の全国高校選手権初出場に導いた。72年に最初の優勝を遂げ、前回までの栄冠は最多の33度達成とした同校チームの礎を築いた人だ。ご自身よく口にし、同部の生徒らからも聞いた言葉が「チャレンジャー精神」。指導1年目に打ち立てたモットーと松原さんは語り、「試合や練習のほかに校内でも社会でも、一歩踏み込んで挑戦する気持ちがなければいけないということなんです」と力を込めた。
「氷上の甲子園」こと第18回全国高校選抜アイスホッケーが12日、苫小牧で始まる。年度前半になかった高校全国大会創設をこの地で目指した関係者の「挑戦」が実り、歴史は今日に至る。出場する全選手に存分のプレーを期待する。(谷)