厚真町主催・シンポジウム 発災後の現地の状況 【上】 翌日ボランティアセンター設置に着手 急ピッチで被災者支援

  • 特集, 胆振東部地震から5年 シンポジウム
  • 2023年8月10日
吉田良行氏
吉田良行氏
山野下誠氏
山野下誠氏
熊谷雅之氏
熊谷雅之氏
村上朋子氏
村上朋子氏

  2018年9月6日に発生した胆振東部地震から5年となる日を1カ月後に控え、今月4日に厚真町総合福祉センターで開かれた同町主催のシンポジウム。専門家のほか、震災の復興支援に携わった町民ら4人がパネリストとして登壇し、発災当時の状況や今後の展望などについて意見を交わした。討論の内容を紹介する。

   吉田良行氏=町防災担当理事兼総務課防災担当参事

   被災時は町民福祉課(現住民課)の課長として避難所運営に当たった。各避難所でいろんな課題が出てきたので統一した形をつくっていこうと、連携会議を設け、生活環境や食などについて決めていった。特にマスコミ対応については各避難所からどうすべきかと話があり、細かい情報を伝えてもらいたい思いはあったが、避難者のプライバシーを配慮し、立ち入りを禁止する措置を取った。

   生活支援相談員が聞き取ってきた情報を社会福祉協議会や行政機関、保健所と共有し、被災者に少しでも寄り添うような対応を検討し、取り組んできた。

   山野下誠氏=町社会福祉協議会事務局長

   発災の翌日には災害ボランティアセンターの立ち上げを町社協の中で決め、共同募金委員会の準備金などの支援を頂きながら準備に着手した。

   被災状況はそれぞれ違い、どの程度の支援を望まれているのかの把握に苦労した。当時は通信環境がなく、われわれだけでは不十分なところを町に職員を派遣していただき、連絡体制や設営を一気に進めることができた。

   9月10日にボランティア希望者の受け付けを始め、11日に活動をスタートさせたが、発災直後からセンターの立ち上げまでの間、多くのボランティアの方々に協力していただいた。

   約2カ月後には生活支援相談員を配置するなど急ピッチに被災者支援が進んだ。生活支援相談員は小まめに避難所などを回って被災者の声を吸い上げ、情報共有会議の中でいろんな話をしていただいた。移動の足がないので町で循環バスを用意していただいたり、家の前を工事車両が通るたびに地盤が揺れて「当時のフラッシュバックが起きる」という声に対して徐行を呼び掛けてくれたりが実現し、小さい声が届いたことに感謝した。

   熊谷雅之氏=ボランティア団体「石狩思いやりの心届け隊」隊長

   「農業支援をしたい」と希望したが、災害ボランティアセンターでは「なりわいの支援はできない」ということをルールとして知った。その後、交流の輪を広げる中で、青年会議所やさまざまな技術者と技術系のネットワークを構築し、取っ掛かりとして行ったのが炭かまどの復旧作業だった。

   災害ボランティアには、技術のほか、心のケア、足湯やマッサージでの体のケアなどいろんな支援がある。一般の人たちはそれを知らないので、「私には何もできない」と思いがちだが、話し相手になるだけでもいいことを、経験値のある私たちが伝えていきたい。

   村上朋子氏=町民団体「つむぎ」代表

   発災当初は、町社協の職員として被災者のニーズの把握に当たっていたが、セーフティーネット、ハード面と、人と関われる力を持つ、生活の視点を持つ、被災者中心の視点を持つといったことが両輪で働かなければ、被災者中心の支援は実現できないと5年たって改めて実感している。被災者の心に寄り添うと言っても、表面的では駄目。生活支援相談員も、ニーズ把握のスタッフも、そして自分自身も被災者だった。住民の元へ行った時には、心の底から「つらかったよね」と一緒に涙を流しながら、聞き取りをしていった。その共有がベースにあるからこそ「実は―で困っている」と、本音の表出につながっていると思う。

   包括支援の立場でもコミュニティーや暮らしに携わったが、応援に来てくれたボランティアはいつかいなくなる。そして新型コロナウイルスが流行した。厚真町民だけで歩んでいかなければならなくなった時、災害で壊れたコミュニティーをどうやって再構築、もしくは新しくつくり上げていけばいいのか、難しさを感じていた。

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