奈良市西大寺北町の発掘調査を行っていた元興寺文化財研究所(同市)は4日、「修理」と書かれた瓦が出土したと発表した。他に築地塀や溝の跡なども見つかっており、文献と照らし合わせると西大寺の敷地に沿った塀と考えられるという。
西大寺は当時、平城京の北側に張り出していた「北辺坊」の中にあったとされる。平城京の北端がどこだったかは現在も未解明で、100年以上にわたって続く論争に終止符を打つ重要な手掛かりとなる可能性があるという。
同研究所によると、瓦は近鉄大和西大寺駅の北西約600メートルで行われている宅地再開発に伴う発掘調査で昨年7月に出土した。
一部が欠損しているが、「修理」の後には「司」と書かれていた可能性が高いという。「修理司」は奈良時代に都の修繕などに携わった官職で、西大寺の造営にも関わっていたと見られる。
同研究所の江浦洋技師は、「北辺坊の位置には諸説あるが、今回の発見は張り出しが1区画分だったとする説を裏付ける可能性がある。今後の調査に期待したい」と話している。