さらなる高度経済成長を支えようとする苫東大規模工業地帯計画に拍車が掛かるこの年、用地買収が進み、柏原、静川、弁天の開拓団が解散。また、厚真地区では離農や農家の若者の離家が進んだ。視野を広げれば、新全国総合開発計画によって地方での大規模工業地帯開発が進められる一方、農村では全国的な米余りを背景に減反政策(米の生産調整)が本格的に始まったのがこの年であった。開田事業の打ち切り、休耕転作奨励金の支給など米作そのものの制限が進み、畜産、果樹、野菜などへ重点を移そうとする。しかし、昭和30年代以来の農産物自由化で畑作も苦しく、農村と農業はあえいだ。米国を相手に工業製品を輸出し、代わりに農産物を輸入するというこの時期のわが国の政策のありようが、私たちの郷土に象徴的に存在した。
■辛苦の地が非行のアジトに?
苫東開発用地の先行取得で、昭和46(1971)年中にほぼ80%の用地買収が進んだ。柏原部落43戸、静川部落20戸、弁天部落94戸、合わせて157戸のうち120戸が買収に応じ、転居した。1月19日に柏原開拓団が解散、3月7日に静川部落会が解散、4月3日に弁天開拓団が解散する。また、静川小学校は3月21日、柏原小学校は同23日に閉校した。多くの汗を流し、多くの歓声が響いた地域社会の消滅であった。
この経緯の中で多くの問題が起こるが、離農が進むにつれて増えていく空き家が「非行の巣」になるという思わぬ問題も発生した。
「転居後、家屋を撤去せず、そのままとなった農家が点在し、これがうってつけの青少年非行の場となっている。ナベ、カマなどを用意するとひと冬過ごせるといったところもあり、町の不良グループが深夜ともなるとバイクなどで集結し、シンナー遊びで乱痴気(らんちき)騒ぎをしたり…」(昭和46年11月6日付、苫小牧民報)。道議会でも問題となり、苫小牧署や補導センター、道企業局苫小牧東部工業団地開発事務所などがパトロールを強化する事態になった。
■公害防止に強い関心
この年、「カラスの鳴かない日はあっても公害の声を聞かない日はない」と人々は言い、新聞は書いた。臨海工業地帯に立地した大工場などによる、思わぬ事態が次々と起こった。
前年12月、日軽金による赤泥(アルミナ精錬後の廃棄物)の海洋投棄に反対する運動が表面化し、「日軽金赤泥海洋投棄反対対策協議会」が発足して海洋汚染、水質汚濁に目が向けられた矢先の年明け2月、苫小牧共同発電の温排水放水口に小魚の死骸が浮かんで人々を不安にした。これはどうやら取水口から迷い込んだ小魚ではないかということで落着したが、5月には糸井沿岸で、口を開けて仮死状態になっているホッキが多数見つかり、詳しい調査をすることになった。6月下旬には安平川(勇払)河口でウグイが大量死して海岸に打ち上げられた。原因は分からなかった。
砂浜に打ち寄せられ、あるいは海面に浮かぶ大量のプラスチック、ビニール製品ごみも問題になった。浮遊するビニール袋などが漁網に絡み付いて操業を邪魔し、巡視船「とまかぜ」のスクリューに巻き付いて操船不能になる事故(昭和46年4月22日付苫小牧民報)まで起きた。
公害問題がクローズアップされる中で6月、大気汚染防止法による取り締まりランクが強められた(6カ月の猶予期間の後実施)。亜硫酸ガスによると思われる喉のひりつき、明野地区一帯の街路樹が赤く枯れるといった出来事もあった。苫東大規模工業基地の開発も目前に迫っていたから、人々はいよいよ公害に強い関心を示した。この年1月から年末までに苫小牧市に寄せられた公害関連の苦情は58件で、前年の2・5倍にもなった。
世間の関心の高さに押されて、企業も敏感にならざるを得なかった。王子製紙は排煙脱硫装置を設置し、出光、共同発電は構内緑化計画を、日軽金、国策パルプは自然保護施策を打ち出した。
苫小牧商工会議所は産業公害相談室を設置し、苫小牧保健所は公害係を新設し、苫小牧市も公害課を設けて監視と対応に当たった。苫小牧市公害防止条例の論議が進み、これが制定されたのは翌年3月のことであった。
■緑化運動とハスカップの保存
工業地帯開発、公害対策が進む中で緑化運動が盛り上がりを見せた。街の緑化の必要性が叫ばれたのはこの時が初めてではない。これまでも苫小牧では「緑が少ない」「緑が育たない」と自虐的に繰り返され、行政や民間団体、企業がそれぞれの立場で植樹、緑化を進めてきたが、市民の意識がどうも盛り上がらない。公園に植えられた苗木が一夜で持ち去られたり、酔った勢いで街路樹をへし折ったりする事件が相次いでいた。
この状況に「全市を挙げて緑化運動を」と、全市民を会員とした「苫小牧市まちを緑にする会」が発足したのはこの年1月。「市民一人一人が手を汚して植樹をし、緑化意識を高めよう」と5月には第1回市民植樹祭が緑ケ丘公園で催され、約200人が参加して2000本の苗木を植えた。現在、「視界が悪い」「枯れ葉が邪魔」などと悪者扱いされ、伐採されている多くの街路樹や公園樹の多くは、この時代の市民によって植えられた。
開発の中で姿を消すハスカップを守ろうという動きも強まった。昭和30年代からその動きはあったが、この年5月、苫小牧郷土文化研究会が苫小牧市と市議会に「ハスカップの保存」を陳情した。臨海工業地帯の開発で広範なハスカップ群落が消滅し、苫東開発でまた群生地が消滅しようとしていた。「早急に保存計画を」と求める同会に大泉源郎市長は「大きな公園を設けてその中で残す」と答えた。のち、15年ほどの間に高丘森林公園などに5万本が移植されることになるが、その後の管理が行き届かず、幾つかの問題を残している。
一耕社代表・新沼友啓
■新春に篠田弘作氏(衆院議員)語る 工業開発は住民福祉に重点を
昭和46年の新春に当たって、篠田弘作衆院議員は「今後の工業開発は住民福祉に重点を」と強調し、次のように語った。
「工業開発によって起こってくるのは公害問題で、これを克服して高生産をあげ、高福祉の北海道をつくることが課題だ。(日軽金の)赤泥の処理問題では沿岸漁民と腹を割った話し合いが必要だ。行政的な指導も行わねばならず、科学的な立場で十分研究していかねばならない。苫東の工業基地づくりを中心として地域の発展を目指す中で、年中トラブルが起きているようではいけない。基本的問題として人間の生命を犠牲にした発展はあり得ない。地域開発は住民福祉の立場で進めるべきであり、工場誘致をするにしても何が何でも誘致するというわけにはいかなくなると思う」(概略)
(概要、昭和46年1月4日付「苫小牧民報」)
【昭和46年】
・流行歌 また逢う日まで(尾崎紀世彦)/わたしの城下町(小柳ルミ子)
・映画 男はつらいよ・純情編/ゴジラ対ヘドラ
・テレビ番組 帰ってきたウルトラマン/仮面ライダー
1月19日 苫小牧東部開発により柏原開拓団解散
1月20日 まちを緑にする会発足
3月 7日 苫小牧東部開発により静川部落会解散
3月21、23日 静川小学校廃校、柏原小学校廃校
4月 3日 苫小牧東部開発により弁天開拓団解散
6月 1日 苫小牧市大気汚染防止法に基づく地域に指定
8月 1日 市政モニター制度発足
8月 1日 青葉町、大成町、新富町が新設され、西町、西弥生町が消える
8月 苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画(案)を北海道開発審議会で承認
9月 1日 市立図書館の移動図書館車「はまなす号」誕生
10月13日 苫小牧市、大型ごみの収集を開始
10月21日 第1回駅前土地区画整理審議会開催
11月10日 市の公害担当八機関(市公害課、苫小牧保健所など)で連絡協議会発足