土鍋を大事に育てていた。ある漫画のエピソードに引かれ、煮汁を長年にわたり、染み込ませてきた。肉も、魚も、野菜も、どばっと入れて煮込めば、立派な料理。夏を除けば週の半分は、土鍋を使ってきた。一人暮らしの自炊で、わびしさも募ったが、鍋は貫禄を増していた。
そんな手塩にかけた土鍋を、いとも簡単に失った。酔っ払いながら締めに雑炊を作ろうとしたのがまずかった。そのまま寝落ちし、真っ黒焦げにした。お湯を張っては沸かして、焦げを落とそうとして、底を割ってしまった。
言い訳になるが「煮詰まる」という言葉を、ずっと「行き詰まる」の意味で使っていた。時事通信社の用事用語ブックには「議論や意見が出尽くして、結論を出す段階になること」とある。最近は誤用が市民権を得て、辞書によって対応が分かれるが、ブックは「本来の意味で使いたい」と手厳しい。言葉の由来は、煮物を十分に煮詰め、完成が近くなる状態。焦がすことではない。
今月から後輩記者の原稿をチェックする「デスク」の仕事をしているが、自身が文章の基本から学ぶ日々。時代とともに変わる言葉もあるのだろうが、言葉が持つ本来の意味を知り、正しく使っていきたい。(金)