千歳市といえば国際空港都市、基地のまち、支笏湖を中心とした観光都市―などいろいろな代名詞を付けて知られ、記憶されている。しかし、農業のまちでもあることは、あまり知られていない。水田や畑作のほか酪農、畜産も盛んだ。中でも鶏卵の出荷量は大消費地・札幌に近接する地の利を生かし、極めて多い。
養鶏業発展の経緯は「増補千歳市史」に詳しい。市の南東部、苫小牧や安平に近い火山灰地一帯は、戦後の開拓入植が中心。当初は酪農が推奨されていたが換金作物としてスイカの栽培が広がり「千歳西瓜」の産地としても知られた。しかし1960年代の冷害で転作を余儀なくされた。養鶏は戦後間もなくから徐々に規模を拡大、集出荷施設が整備されたものの、69年2月の豪雪による鶏舎倒壊、77年11月の選卵施設火災など不幸にも見舞われた。79年の道の統計で旭川市に大差を付けて飼養羽数全道一になった。
3月27日夜「千歳の農場 鳥インフルか」のニュースに驚いた。この農場では28日から約56万羽の鶏の殺処分が始まった。つらい処分作業は年度が替わっても続いている。消費者にとっては卵価格の高騰がつらい。物価の優等生=卵を食卓に届け続けてくれる生産者の労苦と地域の歴史を学ぶ機会にしたいと思う。(水)