この原稿が皆さんの目に触れる頃、私は日本にいない。私が主宰する奨学金制度『内山アジア教育基金』の活動拠点であるフィリピンを皮切りに、長期世界周遊の途上にあるはず。
今頃は、かつて若い時代をすごしたパリに滞在していることだろう。そこから戦況次第では著名なカメラマンと一緒に、その昔旅をしたウクライナに入るかもしれない。
時に海外は危険がいっぱいといえる。私は恥ずかしながら片手で数えきれないほどくり返し強盗に遭遇している。
このところ長らく強盗にあっていなかったのだが、コロナ禍前にロングステイしていたセブ島で久しぶりに――。
リゾートビーチ沿いに建つ隠れ家的なレストランで、日本人のご婦人とディナーを取った帰りのこと。通りに出たが、遅い時間帯で、なおかつ島のはずれの田舎道なのでいくら待ってもタクシーが通りかからない。
ジープを改造したフィリピン名物の乗合自動車ジプニーがたまたまやってきた。他に選択肢がないので彼女の手を引いて飛び乗る。
定員20人ほどのジプニーだが相客はわずか3人しかいない。私の右側に座っていた三十年配の男がなまりの強い英語で尋ねてきた。
「お前さん、観光客なのかい?」
世間話をするにしては妙に目つきが険呑(けんのん)だ。私の中で警戒信号が鳴り出している。返事をためらっていると、向かいに座った年かさの男がこれまた険しすぎるまなざしでいった。
「セブ島でビジネスでもやってるのかね?」
左隣の若者もじっと私と全身をブランドでかためた連れの女性をにらみつけている。
私の経験からして、3人組が強盗であるのは間違いない。車外をうかがえば、どこまでも闇が続いている。これでは逃げ場がない。
ややっ、3人組がアイコンタクトで襲いかかるタイミングをうかがっているではないか。絶体絶命である。が、前方の暗がりに1軒のサリサリストア(雑貨屋)が見えてきた。
私はとっさに奇策を思いついていた。
首領らしき男と視線を合わせ、右手の人差(さ)し指をグルグル回して大声を張り上げる。
「あっち向いてホイ!」
反射的に3人組が、突き出した我(わ)が人差し指の先を見やる。何が起きたのか理解できない様子だ。私はここぞとばかりに運転手にストップの声をかけ、女性の手をひっつかんで、すたこらさっさなのだった。強盗トリオは呆気(あっけ)にとられて闇の向こうに消えていった。
まさか『あっち向いてホイ』が強盗に通用するなんて……。
★メモ 厚真町生まれ。苫小牧工業高等専門学校、慶應義塾大学卒。小説、随筆などで活躍中。「樹海旅団」など著書多数。「ナンミン・ロード」は映画化、「トウキョウ・バグ」は大藪春彦賞の最終候補。浅野温子主演の舞台「悪戦」では原作を書き、苫高専時代の同期生で脚本家・演出家の水谷龍二とコラボした。