東日本大震災で高さ10メートルを超す津波が町役場を襲い、人口の約1割が犠牲になった岩手県大槌町。この地で被災後8年9カ月にわたり、1人で新聞を発行し、記事を書き続けた女性がいる。「大槌新聞」の菊池由貴子さん(48)。原動力となったのは情報不足から痛感した「町民目線」に立った新聞作りへの決意だった。
菊池さんは震災時、隣の釜石市にいた。急いで帰ろうとしたが、途中で大津波を目撃し、高台に避難。町に戻ったのは翌日だった。被災で地域紙の発行が止まり、避難所に新聞が配布されるとむさぼるように読んだものの、町の情報が少ないことに不満を感じた。「地元の人にしか言えないことがある。町の新聞を作りたい」。カメラやICレコーダー、新聞作成ソフトなどを買いそろえ、2012年6月、大槌新聞を創刊した。週に1度発行し、約1年後には町内全約5100戸への無料配布も実現した。
新聞では、町の復興事業の紹介や町政の動きなど地元に密着した情報のほか、少しでも癒やしになればと「大槌わんこ」と題した被災者のペット紹介のコーナーも設けた。「大槌町は絶対いい町になります」。復興がなかなか進まず、町に疲労感が漂っていた中、14年2月からは毎号1面でこう宣言してきた。甚大な被害を受け、大勢が亡くなった町が良い町にならないわけがないとの思いも込めたという。
新聞発行までは取材や編集の経験はなく、「なぜそこまでやるのか」と周囲の人に言われたこともあったが、「勝手な使命感で、自分が伝えなければと思った」と振り返る。読者からは「元気になります」「町の情報が得られる」などの反応が寄せられた。
震災後、町外で講演する機会もあったが、「人ごとと思われているのではないか」との思いが強くなった。取材で得た自分の知識や経験を町外に発信することに力を入れたいと考え、新聞は21年3月に休刊した。大学時代に大病を患い、今も健康に不安があるが、語り部活動やオンライン勉強会の開催、雑誌への寄稿などに取り組む。「私個人の経験が人の役に立つのであれば伝えていきたい」と意気込んでいる。