「今、学校で勉強していることなんて将来絶対、役に立たない」
「何のために勉強しているのだろう」
あなたはこのように思ったことがありますか。私は以前まで「学習は将来のためにある」と漠然とした考えしか持たずにひたすら言われたことだけをやってきました。ですが先日、道徳の授業で、そんな私の心が動かされた話がありました。
それは皆さんご存知の東京スカイツリーの設計に、京都にある五重塔の技術が使用された、という話です。東京スカイツリーには、地震や強風に備えて「心柱」と呼ばれる鉄筋コンクリート製の円筒が中心部に設けられています。それまで最も高かった東京タワーよりも狭い敷地面積の中で、634メートルもの高さやデザインに加え、耐震性、強度も兼ね備えた電波塔。今では当たり前のことになっていますが、これは古き時代を生きた人々からの学びです。そして、その学びを活かし、現代において、より良いものを創造した一つの例だと言えるでしょう。
私はこのことを知り、時代を超えた学びがあることを実感しました。昔の人々には、今の私たちのようなテクノロジーやシステムはありませんでしたが、それを上回る程の知恵があったのだと思います。その知恵が現代に役立っている。新たなものを生み出していく時に大切なのは創意工夫する力、そして日常生活に目を凝らし、それらを応用していく力なのではないでしょうか。
このように考えた時、義務教育での学びは必要不可欠なものだということを痛感しました。確かに、業種によっては学習の必要性を感じにくい科目もあるでしょう。しかし、理数科目からは、一度の学習からさらにステップアップしていく応用力、社会科からは選挙に関する知識などの公共力が身に付くと思います。これらの力は現代社会において、当たり前のように必要とされることではないでしょうか。また、一つのことを学ぶ過程で様々な考えを持つ人たちと意見を交わしていくことは、自己の視野を広げることに直結すると私は考えます。さらに、こういった話し合いの中ではコミュニケーションを図るスキルも自然と向上すると思います。このように、学びには仕事をスムーズに行うための知識だけでなく、人間としての力を身に付けられるという側面があるのです。
「変化の時代には、学ぶ者が地上を制し、学ぶことをやめた者は、自分の力を発揮できる世界がもはや存在しないことに気づく」
これは、アメリカの哲学者エリック・ホッファーの言葉です。学ばずに得られるものというのは、無いに等しい。逆に、自分には関係ないと思うことでも教養として身に付けることで、将来の可能性が広がると言えるのではないでしょうか。自分の力を発揮したり、希望を叶えたりするには、それ相応の学び、そしてその学びを継続していく努力が必要です。また、様々なことに挑戦していくことも大切だと思います。
私たちの顔がそれぞれ違うように、「学び」の価値や捉え方もその人の考え方、育ってきた環境によって変わってきます。知識として得る学び、経験から得る学び…。様々な学び方がある中で「机に向かってひたすら勉強することだけが正しい」とは言えません。好奇心と探究心さえあれば、人間として成長していくことができるのだと思います。私はこれから、大人への道を歩む中でそれらの心構えを持って学び続けたい。どんな時も、学んで後悔することはない、ということを念頭に置き、豊かな人生を創っていきたい。知識や気付き、経験から自分にしか歩めない人生を形成する。これが私の「学ぶ意味」なのだと気が付きました。
多くの人が自分の「学ぶ意味」に気が付くことができれば、それぞれの生き甲斐や目標がみつかるはずです。皆さんにも学ぶ意味に気付いて、自分なりに良いと思える人生を歩んでいってほしいです。
(終わり)