民芸品製造や酒類販売など、業態を変えながらも苫小牧市で長く事業を営んできた。時代の変化で経営が振るわくなり、絶望感に見舞われた時もあった。それでも「これまで事業を続けられたのは、人の支えがあったから」と感謝する。
朝鮮戦争による特需で日本経済が好況だった1953年、日高町で生まれ、58年に苫小牧市緑町(現音羽町)へ移り住んだ。父親が木製包装材の「経木」の製造工場を経営していたため、学生時代は木工所から運ばれた丸太をチェーンソーで切るなど作業の手伝いに明け暮れた。だが、経木の需要が年々減り、家業の工場も厳しい時代を迎えた。
当時の北海道は観光ブーム。道外から続々と観光客が押し寄せ、土産の民芸品も売れに売れていた。好機と捉えた工場は、木彫りのクマやフクロウなど民芸品の製造に力を入れ、自身も72年3月に高校を卒業後、白老町や道東などアイヌ文化ゆかりの観光地へ商品を卸す仕事に励んだ。
製造の機械化も進め、20人の従業員を雇用するなど規模を拡大。87年に会社を法人化し、父から引き継いだ。しかし、不運にもこの頃から観光ブームは下火に。売り上げの減少で経営は見る見るうちに悪化し、従業員を解雇せざるを得ない事態に陥った。大量の在庫を抱え、先行き不安に苦悩する日々。妻と子ども3人の大黒柱として家庭を支えることにも自信を失いかけた。
「41歳の時が人生で一番大変だった。妻も家族を守るため、家計のやり繰りに必死だった」。これからどうすればいいのか―。自らを見詰め直すため、四国の寺院を巡るお遍路の旅にも出た。
苦境を救ったのは知人だった。助言を受けて当時珍しかった酒類ディスカウントチェーンに加盟。96年に市美原町に店舗を構えた。バブル経済の崩壊で景気低迷は続いたが、ディスカウント販売が人気を呼び、開店から5年ほどで軌道に乗った。
まちに恩返ししたい―。その思いから、苫小牧が誇る地酒・美苫の普及に尽力した。美苫は苫小牧市の水道水と厚真町の酒造好適米を原料に、小樽市の酒造メーカーが醸造する純米吟醸酒。特産品を生み出したいと、北海道中小企業家同友会苫小牧支部が企画し、2002年から売り始めた。中小企業者らの熱い志を受け止め、経営する美原町の店で毎年新酒を販売。まちをアピールしている。
05年、美苫を扱う酒店などでつくる「美苫みのり会」が発足。11年に会の代表となった。同会は毎年の新酒造りにも関わり、原料米の田植えなど市民も巻き込んだ活動を続けている。
人口減や高齢化を背景に酒店を取り巻く環境は年々厳しさを増す。だが、負けない。「座右の銘『順理則裕』を大切に地域の期待に応え、貢献していきたい」と意気込んだ。
(室谷実)
◇◆ プロフィール ◇◆
平田 幸彦(ひらた・ゆきひこ)1953年(昭和28年)7月、日高町で生まれる。96年から苫小牧市で酒類販売を始め、美苫みのり会部会長のほか、苫小牧地方青色申告会連合会の会長なども務める。趣味はゴルフ。苫小牧市音羽町在住。