苫小牧市中学生主張発表大会(12) 努力賞 「いじめといじりの違い」 凌雲中学校2年 西村 優里さん

  • 特集, 苫小牧市中学生主張発表大会
  • 2023年2月3日

  皆さんは、「いじめといじりの違い」を説明できますか。私は1学期の道徳の授業で、この「いじめといじりの違い」について深く考えさせられました。そのときの考えから感じたことを話したいと思います。

   道徳の授業では、いじめといじりの違いがテーマとなって考えていました。そこで私は、「いじめ」は、人が嫌がっていることをすることで、「いじり」は、人をからかって笑うようなことを言うのではないかなと思いました。いじりだったら真顔では言わないと思うし、みんなを笑わせようと思って言うと思います。それに比べていじめは、その人が嫌いで言う言葉だと思うので、あざ笑うようなことはあっても、笑いながら言うことはないのではないかな、と思っていました。しかし、クラスの人たちの意見はみんなそれぞれ違って、「いじめといじりは変わらないのではないか」と言う人もいたり、「いじめは暴力をふるうことで、いじりは人をからかいながら、言われた本人もみんなと一緒に楽しむことなのではないか」と言っている人もいたりしました。私は、みんなの様々な意見を聞いて、正解は何なのか、いじめ・いじりって何なのかわからなくなってしまいました。

   そして、結局クラスでいろんな話をした結果、みんなが「これだ!」と思う明確な答えは出ずに終わりました。人によって、やっている側がいじめだと思っていなくても、やられている側がいじめだと感じていたら、それはいじめになるのか。しかし、誰がどう感じるかなんてわかりません。だから、いじめといじりの境目や考え方は人によって変わり、人それぞれで正解というのはないのではないかなと考えました。

   そこで私は、自分の考えだけではなくて、辞書などで意味を調べてみました。「いじめ」とは、弱い立場の者をいじめるという意味があるそうです。また、「いじり」とは、他人をもてあそんだり困らせたりすることだそうです。調べてみても、明確にはこの行動・この言葉などがいじめだ! いじりだ! というのは、わかりませんでした。

   いじめだと思うのか、いじりだと思うかなどは人間の感情次第なので、結局はいじめのない世界、人が嫌な思いをしない世界はつくれないのだと思いました。だから私は、世界中の人が嫌な思いをしたり、傷ついたりしない世界がつくれないのだったら、まずは友達や家族などの身近にいる人達が少しでも自分のせいで傷つくことがないようにするにはどうしたらいいのか、と考えてみることにしました。

   一つ目、自分がやられて嫌だったことを相手にしないことです。ありきたりな言葉だけど、すごく大事なことだと思います。相手が言われて嫌なことはあまりわからないけど、自分が言われて嫌なことはわかるから、それをやらないほうが、相手が嫌な思いをしないで済むと思うからです。

   二つ目は、相手の視点に立って考えることです。相手の気持ちになって、どういうことをされたら嫌だと感じるのかな、この人はどんな性格なのだろうと、思いを巡らすことが大切なのではないかと思いました。

   三つ目、いじりをしないこと。いじりはきっと笑いをとるために言うことであったり、みんなが笑顔になるために言う言葉であったりするはずなのでしょう。それなのに、そこで傷ついてしまう人がいるかもしれません。だから、いじめといじりの違いがわからないのだったら、いじりをしなければいじめも起きなくなるのではないかなと思いました。

   結果として、いじめといじりの違いはわかりませんでした。しかし、違いがわからないとしても、自分が間違って相手にいじめをしないように、少しでも相手が傷つかないようにするにはどうすればいいか考えることが大事だなと思いました。

   今はいじめといじりの違いがわからなくても、いつか自分なりの答えをちゃんと見つけたいと思います。

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