「アフガンやまぬ人権侵害」。ある日の新聞記事の見出しです。私はイスラム原理主義組織タリバンがどのようなことを行っているのかをあまり知りませんでしたが、記事の内容に衝撃を受けました。女性の抑圧、超法規的な処刑、恣意的な逮捕、少数派ハザラヤ人の殺害、メディア弾圧。このような人権侵害が今起こっていることに、私はとても悲しく、やるせない気持ちになりました。
特に、『少女ら「秘密学校」で勉学』という記事には驚きました。女性の権利を制限し、数十万人規模で女性の教育機会が奪われているのです。
そのような中で、少女達は男性に悟られないよう毎日違う経路を使い「ブルカ」という全身を覆う衣服の中に教科書を隠して持ち歩いているのです。中等教育課程の教科を勉強しているナフィーサさんは、「医師になりたい。自由を享受し、社会に奉仕し、私たちの未来を築きたい」と話していました。自由に勉強ができない中でも自分の夢を語っています。ナフィーサさんと今の自分を比べると何とも恥ずかしくなります。私にとって学校は、友達と話したり、部活を楽しんだりする場所という感覚です。しかし、勉強について考えると「だるい」「めんどくさい」と思ってしまいますし、周囲の大半は私と同じように考える人が多いです。学びたくても学べない、危険なリスクを背負ってまで学びに行く少女達のことを知り、私は知る前の自分の考えを反省しました。
このようなことが起こるのは、「女子・女性が教育を受ける必要はない」という社会的慣習が大きな要因だそうです。
このことはアフガンだけではありません。「百十一本の木」という本に、インドのある村での実際にあった男女差別の話があります。
その村では、少し前までは男の子が生まれると盛大にお祝いし、女の子が生まれると家が静まりかえりました。なぜなら、女の子は結婚するときに、相手の家族に家財道具やたくさんの持参金を用意しなければならないからです。
しかし、この村にはスンダルさんという村長がいました。彼は大理石工場で働いていましたが、その工場のせいで土地が荒れていくのを見て村長になりました。ある日、彼は自分の娘を病気で亡くしてしまいます。このことに心を痛めた彼は、村で女の子が生まれる度に111本の木を植えることを始めました。その後、村は自然が豊かになり、彼は女の子が児童結婚しない決まりを作り、女子も教育を受けられるようにしたのです。一人の村長の諦めない取り組みが女性達を救ったのです。私はスンダルさんのようなリーダーが世界中にたくさんいたらいいのに、と思います。
まだ、世界各地で苦しんでいる女性達がたくさんいます。学校に女子トイレがなかったり、家の手伝いが忙しくて学校に行けなかったり…。調べてみて初めて知りました。
私はなんて幸せなのだろうと思います。勉強も部活も自由にできます。おいしいご飯が食べられ、男女関係なく一緒に遊ぶことができます。将来の夢も自由に抱けます。改めて私は、これらは当たり前のことではないことに気づきました。今回私は、世界中に抑圧されている女性がいることを知りました。ですがこれはほんの一部で、この瞬間も偏見や差別に苦しんでいる人がもっといるのかもしれません。
今まで私は、自分のことしか考えずに過ごして、世界の苦しんでいる人々のことを深く考えたことがありませんでした。「人権」とは自分とはあまり関係ない事柄で、ニュースにも興味を持ちませんでした。
私はこれから視野を広げ、世界のことをもっと知っていきたいです。すべての人々が当たり前に明るく楽しい生活が送れるように、「どうすればいいか」を考えて行動したいのです。
「医師になりたい。自由を享受し、社会に奉仕し、私たちの未来を築きたい」と話していたナフィーサさんのように、人のために働ける人になるために、強い意志を持って努力していきたいと思います。